2016-11-28

http://anond.hatelabo.jp/20161128205112

青空文庫で「居場所」を用例検索してみたが、多くは普通の「○○が居る場所」という意味で使われていた。

強いて言うなら…ってのが宮本百合子著 二つの庭(1947年

心と体の居場所がなくて、あちこちをふらついていた伸子は、漂いよったように古風な客間に入って来た。榧かやや楓、車輪梅などの植えこまれた庭は古びていて、あたりは市内と思われない閑寂さだった。竹垣のそとで、江田ホースを使っている水の音がきこえた。

伸子は竹村に対して、特殊感情はなかった。よしんば竹村が、伸子にわかるような感情表現をしたとしても、伸子はそれで動けただろうか? この間、温室を見に行ったとき、夕飯の仕度をしながら、竹村と素子が手のことを話したとき微妙感情の流れ、そこにも伸子は、自分の居場所から動けない自分の心を直感した。

増田の指摘はいい所をついていると思う。

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