年賀状毎年書く。今年はイモ判作って年賀状こさえようとおもって。イモ判ていうのはイモを彫刻して判子にすることです。それで公民館にイモ判の講師が来てイモ判をおしえてくれるっていうから行ってきた今夜。まあ案内状にはイモを一個持ってきてくださいねってあったんだけど何かなんとなくいちおう2個イモをもってった。それで机の上に2個ならべておいたらイモ判の講師に
「え何やってんですかやめてくださいよ。あなたみたいな素人の分際で2個のイモを用意してくるとか何考えているんですか。そうやって2個のイモを持ってくるとね2個目のイモをあてにして1個目のイモなんて失敗してもいいやって気持ちが生まれるでしょう。イモ削るたび失敗するかも成功するかもとか思ってどうするんですか。たった一個のイモでちゃんとつくろうと思いなさいよケナガマンモス。」って言われた。
イモはたったの2個だけなのに、そのうち1個をわざわざ講師の前で故意に失敗作にしようと思うなんてありえる? 普通はそんなこと思わない。でも結果的に2個イモ用意したってのはつまるところ、無意識に適当にやってもいいやっていう気持ちが働いていたんだろうなあ。そこをイモ判の講師は見抜いたのだろうなあ。