指摘できる人は凄い、に異論はないが、
いちいち指摘する必要なんてあるのかな?というのはちょっと思う。仕事で教育や育成に携わっているというなら話は別だが、
例えばこの家庭教師のような例は
俺は他人のミスを発見してもなかなか指摘できないタイプである。例えば、知人(家庭教師)がブログで「〇〇ずらい」と書いているのをずっと見ているが「『ずらい』じゃなくて『づらい』だよん」と指摘することができない。
無理に指摘する必要なんかないとおもう。
別にこの人が間違ったまま生きていても、どこかで恥をかくのはこの知人で、自分に特に損害はない。俺はそういう場合はいちいち指摘していない。だいたいこのレベルをもれなく指摘していこうとしたらfacebookなんか見ていられない。間違いを見つけるたびに指摘しようかするまいか、どういう風に伝えれば相手を傷つけないかなんかを考えるのは疲れるし。だからそれをサラリと伝えられる(考えたりせずにそれができる)のは凄いってことになるとは思うが、疲れるな、面倒だな、と感じる人は無理に伝える必要ない。
自分にとってどうでもいいことに労力を使わないほうが、生きるのは楽だとおもうよ。
指摘の仕方がうまい人に憧れる。 間違いを発見しても何も言わない人や、逆に、「やーい間違ってやんの」という煽りをする人が多い中、ユーモアを交えつつサラリと指摘できる人も...
指摘できる人は凄い、に異論はないが、 いちいち指摘する必要なんてあるのかな?というのはちょっと思う。仕事で教育や育成に携わっているという話なら話は別だが、 例えばこの家...
ユーモアを交えつつサラリと指摘できる人 を良いと思う人もいれば、「何その嫌味ったらしい言い方!」って思う人もいるので悩む必要はないよ
ユーモアって基本的に独りよがりの押しつけだからね、韻を踏む彼氏とおなじくらいウザがられるのは仕方ない