1歳になる子が今私のおなかの上でグースカ幸せそうに寝ている。
子供には無限の可能性があるという。
どんな子供にも幸せになる権利がある。
幸せになる可能性がある。
この子は将来どんな努力をして、どんな事を成し、
どんな幸せを手に入れるのだろうか。
ピアニストだろうか。スポーツ選手だろうか。
世界を救う研究者だろうか。ボランティアに身を費やすだろうか。
ふつうの親になって普通の幸せを手に入れるだろうか。
たくさんの、たくさんの無限の幸せへの可能性。
子供には、その可能性が財産としてあると思う。
ならば、子供からその可能性を奪う事は
何よりも重い罪ではないだろうか。
国の、地球の財産ともなる可能性があるのだ。
何よりも重い罪を与えるべきではないのだろうか。
児童虐待で犠牲になった子供達のニュースをみてそんな事を思う。
1歳になる子が今、私のおなかの上でグースカ幸せそうに寝ている。
来月、この子は父親から捨てられる。
子を捨てる罪は、無限の可能性を狭める罪は何故認められないのだろう。
Permalink | 記事への反応(1) | 15:42
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女かなんか知らないけど 子どもを育てる責任はあんたにもあるんだよ