例の一文を邦訳するにあたって一番の障害は "pardonné" の宗教的含意に相当する概念が日本語圏に存在しない、少なくとも浸透していないことだよね。
日本語ではどちらにも「ゆるす」があてられてきた経緯があるけど、これはLとRの違いみたいなもんで、我々には区別がつきづらいだけで実際には全然違うところがある。
(アスペ日記も指摘するとおり)「許す」と「赦す」の使い分けはないけれど、「許可」や「特許」、「赦免」や「恩赦」の使い分けはあるわけで、
そこから連想される含意の差異に仮託して「すべては赦される」と訳出する方が文化翻訳の観点でより自然だったよね、ということだと思う。