例えばそれが何らかの益をもたらしているとしたところで、不快な奴が不快だといえばそれだけで一定の正当性が与えられ、不快だと言われた奴はそう思われないよう配慮しなければならない。
社会では、そういうのを言葉狩りのようなカタチで表現される。
要は、その存在が社会に益をもたらそうが害を与えようが、不快な奴が不快だと言いさえすればそれはそのままであってはいけないのだ。社会とはそういうものだ。
どうしても改善できないなら、そいつは抹殺されなければならない。不快害虫は語る言葉を持たないから、不快だと考える勢力からは根絶やしにされる。いること自体が害悪なのだ。
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