2013-12-05

めんどくさいと思う病の本質

めんどくさいという思いを持つようになったのはいつ頃からだろうか。


たぶん、小さなさな子供の頃は、

明示的に「めんどくさい」とは感じなかったと思う。


自分が実行したくない行動に対して、

某かのフラストレーションを貯めることはあっただろうけれど、

それが「めんどくさい」とは感じなかったはずだ。

そもそも「めんどくさい」という言葉を知らないし、

子供にはそういう概念がない。

いつからか、

そのフラストレーションは「めんどくさい」のラベルが貼られる。

また、

年を重ねた後の「めんどくさい」は

子供のころの「めんどくさい」とは異なる場合がある。

すなわち、

大人になった時の「めんどくさい」は

「やりたくない」から生まれるフラストレーションではなく、

「できない」から生まれる言い訳である事が散見しないかね。

気持ちとしてはやりたいけれど、能力的には出来ないか

「めんどくさい」と言い訳して、

自分能力不足への直面を回避している人が多いように思う。

例えば、

「本を書きたいけれど、めんどくさいからやらないんだ。」

これは本質的には「めんどくさい」というより、

能力的に出来ないという意が濃い。


何か行動を起こさずにいる理由を、

「めんどくさい」に置き換えている人は、要注意だ。

よくよく見返すと、自身はすっからかんの脳なしで、

「めんどくさい」で気軽に言い訳している可能性がある。

そして、

すぐに「めんどくさい」という人は、

大抵脳なしだし、おおよそ脳なしのレッテルを貼られるよ。

そんなの言い訳にもならない。

  • 大人の「めんどくさい」が子供のと違う点は、大人はめんどくさいことをしなくても生きていけるってことを知っているって所だ。 「めんどくさい」でやらなかったことのツケは、後で...

  • 俺は普通にやりたくないときしかめんどくせえって言わねーよ

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