メカニカルな定義はあくまでも便宜的なもの。
一般的にはメカニカルな定義は行わない。
裏側にある思惟こそが本体とされている。
いや、すまん。限定した表現をしよう。
思惟こそが本体であって、「○○したら○○してくれる」は表現形でしかない。
子供や動物が世界を理解するならメカニカルな理解はあり得るが、
裏側の思索系の仮定なしに現象だけで人間を解釈することは(大人の人間としては)ない。
思索系(というか主体)が自明であるのが大人としての一般的な思考スタイルとなっている。
Permalink | 記事への反応(2) | 02:50
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如何に難しく書くかで自分をアピールしたいのかもしれないけど、 結局の所 事象の関連付け能力、特に関係が曖昧な場合 条件分岐付きの思考能力 が欠如してるだけだからな。 そし...
不思議だな。 なぜか物事を関連づける能力が身につかないのか。 器質的な疾患ぽい。
うんそれはまったくそのとおりだと思うし 他人の思惟とか主体の存在を疑ってはいないし存在を確信している それでも現実の人間関係に対応するのにメカニカルな考え方以外にどういう...