ケースにもよるが、
それは正論ではあるが、人を傷つけていい理由にはならないというのはおかしい。
同じことを正論を言っているいる人間がいうと、たいていこういう反応を、その傷ついた人たちは言うだろう
『人間、傷つかないで成長はできないよ』
僕が、その手のタイプが嫌いなのは、自分が傷ついている時には、大声を上げて傷ついた傷ついたというが
自分が傷つける側に回っている時には、無頓着な事だ。(もしくは、自分の価値観に従って相手を傷つけないようにすることで、相手の価値観に従って相手が傷ついていても、それは相手が悪いと言う事だ)
価値観の判断基準が、相手と自分で違うという事を考慮せずに、価値判断基準が自分、または、数が多いとすることだ。
そもそも論として、そういうケースになる場合大抵の場合、傷つけられたと主張する方は、なにかミスをしたり間違いをしたりして怒られている場合が多いだろう。
人を怒るときに、全く傷つけずに怒って、それって、どうなの?効果あるの?
怒るのは、腹を立てたから怒っているわけじゃない、治してほしいから怒っているわけだ。
傷つかないように怒ってくれ、というのは、心情的に共感する部分もあるけど、正しいとは思わないな。
http://anond.hatelabo.jp/20131026235343 あなたの主張には全面的に同意する。私もそういう考えだ。ただ、私が今言いたいのはそういうことではないんだよ・・・。
「心情的に」という部分、感情的にならず、冷静にお互いの人格や個性はひとまず置いといて議論をしようじゃないか。ということを言いたいのでは?