知識がある無いで、行動が変わります。 それはわかるでしょう。
行動から得られた知見というのは、自分の体験に結びついていますから、他人と同じ内容でも、自分の中での処理過程は異なり、オリジナルとなります。
ああ、あれはこういうことだったのか、と本から本質を学んだりできます。
議論をするときに、正解を出そうとする人がいる。
これはどうなんだろうね。
仮に、正解が出るというのはいいと思うんだけど、正解が出ないことも多いだろう。
議論で、「自分に無い知見」を出されたときに、即反論してしまうのはどうだろう。
新たな知見をもって行動すれば、これまでに見えなかったものが見えるかもしれない。
そして、そのなかで、自分に無かった知見が自分の生と結びつく。
そういうもんだと思う。
議論というのは、納得するしないにかかわらず、事実を導き出すものである。