漫画がたくさん溢れれば読んでしまうし、読んでる時間は漫画に奪われる。
ゲームをすれば、ゲームに時間は奪われ、ゲームを楽しんでしまう。
生きる事が、こうやって、何かに奪われていくのは、まるで家畜のようだ。
これが、人間性だよ。 というのはわかるのだけど。
これに従容とするのは、豚みたいだ。
一人の命より、大多数の命の方が数的に大切だというのは言われれば当たり前だが、そこに自分を入れない論理を展開できるだろうか。
自身の思想において、助けないで生きる事より、助けて死ぬことの方がいいと判断しただけかもしれない。
それは、宗教かもしれない。
自分がいないところで成立する、数学などのために、名声とかなしで、殉教できるだろうか?
悟りにより、自分の環境への順応を否定することができれば幸いではないか。
環境を作られて満足するより、悟りによって、環境の外を肯定する。
宇宙を肯定する。