児童ポルノ問題について議論するとき、批判の前提として様々な性的嗜好を持つ自由があるだろう。
もちろん内心の自由があるから、法的にどんな嗜好を持っても駄目ではない。
だが疑問なのは、たかが性欲を発散する手段にアイデンティティを感じる者が、なぜそんなに多いのかということだ。
児童ポルノだろうが同性愛だろうが、どう見てもロリには見えないAV女優だろうが、
性欲を発散すること自体に恥ずかしさを感じるのが普通だろう。
もちろん自分もオナニーくらいするが、賢者モードになる前でも、
ロリっぽい動画を見つけたら後ろめたくて開かないことくらいある。
性の開放が謳われたのなんて何十年前の話だと言われるかもしれないが、
あけっぴろげにはしてないわけだが。