2013-06-11

チラシの裏は「グヘヘ」と笑ひ

陰気な人間がいる。

陽気な人間に、何故そんなに陽気でいられるのか、と問う。

陽気であることは、相対的にいいことである。と考えている、と答える。

陽気であるという事は、基本的に「善」であるとされている。

陽気な人間は、自分が「善」であるという自信を持っているため、活動的になれるのである

自信は、良い結果を生み出すが、ときには悪い結果も生みだす。

陰気な人間は、その悪い結果が、凄く気になるのだ。

陽気な人間は、悪い結果は、いい結果で補えると考えている。

陰気な人間は、悪い結果を出さないように考える。

ここで、陽気と陰気の差が分からなくなってきた。

おそらく、過去に自身が体験した結果から、結びついていくのだろうか。

ニワトリと卵どちらが先か、の話になってくる。

混乱してきたので、やりなおし。

そもそも、このような発想に至ったのは、

「明るい人の中に、自分の正しさを軸として、一元的人間論を語る人がいる」

かもしれない、と思ったかである

明るい人「何をそんなしょうもないことで悩んでいるんだ」

暗い人「…何で『しょうもない』と考えているのか?教えてくれ」

まあ、これに対する回答は難しいよね。

間違っても「それだよ、そう言う考え方がしょうもないんだよ」

みたいな自己言及的な回答はしないでくださいお願いします。

「しないでください」って、感情論なっちゃったよ。

この回答がなぜだめなのか、論理的に話せない俺に問題があるよなあ。

情報不足が敗因の一つになるのならば、あらゆる行動に敗因リスクが伴う。

なぜなら人間永遠に情報不足だから

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