何かの本に書いてあったけど、自由でありたいから不自由を受け入れる。って事だと思う。
マイノリティーのままで、生きていくために。自分とは考えたかの違う、ともすれば、反対の考え方を持つ、マイノリティーを受け入れるという不自由。
でも、それができれば、僕らは マイノリティー団体というマジョリティーになれる。
本当にたとえばだけど、海外では同性愛が認められて結婚できる。結婚できれば、財産が共有できて、養子が持てる。養子が持てれば、子どもに財産を引き継げる。
それを認めていいのかどうかは、もっと議論が必要だけど、でも、究極 マイノリティー団体ということはそういう事です。
自分以外の、違法でない、あらゆる生き方を守りあっていく、そのかわり、他のマイノリティーともすれば、マジョリティーに迷惑をかけないようにする。
多分誤解されやすい部分として、君の主張は「秋葉原の人も、新宿二丁目の人も、在日の人も、マイノリティだから集合して政治的な力を持つべき」ってミスリードされる可能性がある...
そだね。利権団体は暴走しやすい。 というか、そもそも論として、秋葉原という地区を考えた場合、すくなくとも、秋葉原以外でも生じている貧困問題以外の問題って秋葉原には無いん...
秋葉原自体が、日本がマイナー文化を受け容れる国であることを象徴してると思う。そして重要なのは、今ある秋葉原の風土を作ったのは政治じゃなく、君みたいなファンダムの人たち...