元増田です。
自分の場合は、「何が本当に正しいか」ということは問題じゃなかった。
多数派であれば正しいと「思った」んじゃなくて、「思いたかった」っていうところが本当のところだったと思う。
自分のよりどころをより多くの人間が肯定するものに求めて、自分の正当性を保ちたかった。
特に、大学生活とかで引きこもっちゃったりして自分に自信が持てなかったりしたから、無意識的に格好のエサとして食いついちゃった。
「世間の物事に対する考え方について『一般的』な考えを持つことができている」という錯覚と言ってもいいかもしれない。
さらに言えば、それによって「そうでない」人を見下すことができているという優越感もあったと思う。
当時の自分を底辺だと感じていたから自分より下の人間を無意識的に探してた。
でも、逆に考えれば、そういう人間にとってのある種の逃げ場とかはけ口を提供している場所だと言えなくもないのかもしれないとふと思ったよ。
穿ち過ぎかもしれないけど。
散々言われてることだと思うけど、経験を踏まえた自分の考えをまとめとく。 有害性の中身は、思考停止と思考硬直。 自分で考えなくても、「多数派」に属するためのスタンスを分か...
よくわからん。ガリレオが 『それでも地球は動く』 と言ったというセリフは有名だと思うんだが。 少数派が正しいこともあるという典型例だよね。 言い方を変えると、なぜ、多数派...
元増田です。 自分の場合は、「何が本当に正しいか」ということは問題じゃなかった。 多数派であれば正しいと「思った」んじゃなくて、「思いたかった」っていうところが本当のと...
「少数派が正しいこともある」と「少数派が正しいことも多い」は全く違うわけで。 あと「ネットの多数派」というのは実際にはノイジーマイノリティでしかないのもややこしい。
テンプレ的なスレに、テンプレ的にレスをするのが正しさになってる。