2011-11-28

じゃあ細かいところから広いとこに出てみようかな

http://anond.hatelabo.jp/20111128144115

http://anond.hatelabo.jp/20111128143505

「慈悲や慈愛のかたちで表面化する正義」なるものは慈悲や慈愛の飾りを身にまとっているだけで本質正義なのだ

慈悲を辞書で引くと大雑把だけど「あわれみ」とかそんな感じだ。慈愛は「かわいがる深い愛情」とかだ。共通するのが「いつくしみ」だ。

どこにも正義を求める気持ちなんてものは出て来ない。

よって辞書的に言って慈悲や慈愛は正義ではない。飾りたきゃ飾ればよい(飾っていた方が美しいし)が、それは、正義では、ない。

人を煩悩から救うために悟りを開き衆生を導くとか、そういうのに近い話。

こういうのもさ。どこが「正義」やねん。既に善悪彼岸の向こう側の話じゃねえか。それこそ「善意の人」なみに正義関係なくね。

ただ話がちょいと入り組んでくるのは、慈悲や慈愛は正義ではないが善であるという事実の故だ。

から「飾る」だなんて、粉飾を彷彿とさせる比喩を持ちこんでも「その方が美しい」と言い切れる。

その美は見せかけではないからだ。

正義もまた善の一端である正義なりに美しいが慈悲や慈愛とはなにか性質を異にする。

おそらくはその燃料に憎しみを混ぜているために。

全方位に対する慈愛って応報捨てるくらいの勢いのとこからしか出て来れないんじゃないの? 知らんけど。

行われるべき所で正義が行われないことに憤ってるうちは応報をむしろ強烈に望んでいるので、その灰からフェニックスは出て来れないかもよ。

記事への反応 -
  • かなり細かいところに入り込みすぎてるから結論でないぞ その辺にしといたらどうだ双方

    • http://anond.hatelabo.jp/20111128144115 http://anond.hatelabo.jp/20111128143505 「慈悲や慈愛のかたちで表面化する正義」なるものは慈悲や慈愛の飾りを身にまとっているだけで本質は正義なのだ。 慈悲を...

      • こういうのもさ。どこが「正義」やねん。既に善悪の彼岸の向こう側の話じゃねえか。それこそ「善意の人」なみに正義関係なくね。 彼岸まで行ってしまえば向こう側の話だが、行く...

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