世界視点での話
きっとこの世界は現象があるだけだ
最小単位?そんなものはない
どこまでも分解できる
肝心なのは、移ろうものが殆ど全てであるということだ
砂山を崩していけばただの砂になる
砂山なんてない、砂が集まっていたという現象があるだけだ
砂がある?原子が集まっただけだ
ただの組み合わせに名前を付けて、そこにあるようにしただけだ
それを作るのは意識の中だけで、本当にあるわけではない
その意識でさえ、関係性の中でしか存在できない
見る先の物体と、見る側の人があって、そのようなものが楼閣のように成っただけだ
だから、本当は何もない、組み合わせの上での仮想的な存在だ
主観視点での話
すべてには存在がある
少なくとも、こう意識を持つ何者かがここにはいる
苦楽も消せず、自己は死ぬまで続く連続体だ
自己の経年を観察し続け、私はここに居るという確信を得る
だから、辛く苦しく、感情に飲まれる
消すことはできず、体の檻に閉じ込められている
死によってのみ、あらゆるしがらみから解き放たれる
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