2011-08-18

大喜利専用状態な日本語ハッシュタグに思うこと

Twitter上では、日本語ハッシュタグ大喜利化 し、日本語ハッシュタグをタイムライン上から消し去る方法 が猛烈な勢いで広まっている。

正規表現って何?という層まで正規表現に興味を持つほどだ。面白くも無い大量の日本語ハッシュタグが流れて、それを嫌う人がいるのはわかる。 日本語ハッシュタグにイラつく人々 がいいたいことはわかる。

だがしかし、この流れで「日本語ハッシュタグみえてません」「日本語ハッシュタグは廃止した方がいい」が当然のようになってしまうのはどうなんだろうか。面白くもないネタやきっとフォロワーさんがしてくれる系のかまってタグが嫌われてるのであって、日本語ハッシュタグだったらなんでも害悪というノリはいささか行き過ぎだろう。

実際、自分の周りにそういう人が出てきて「日本語ハッシュタグを使い奴はまちがいなく乞食」等と言い出すものから普通日本語ハッシュタグがつかいにくい。もっと普通の使い方をされていけば大喜利専用状態も緩和されると思うのだが、一向にその気配が無い。

日本人は文中にハッシュタグリンクを入れることに慣れていないことが問題なのかもしれない。このへんの話は 日本語ハッシュタグの使い方について に良くまとめられていた。知人が「ハッシュタグって文末じゃなくてもいいんだ。目から鱗だった。」と言っていた。仕事では「○○はこちら」リンクを量産された文章を見る事が何年経ってもなくならない。スペースうんぬん以前に、そもそも文中にハッシュタグリンクを入れるという発想がない人が多いのが現実なのだなと痛感した。

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