リバイバルブームが起きたけど、あれも韓流みたいにやっぱり作られたものだったのかね。
で、「中国嫁の差別性によせてhttp://d.hatena.ne.jp/islecape/20110801/yome」に関して、この嫁という言葉もまたリバイバルブームとしてみるべきで、
そこに時間的、思想的な断続があるはず。
今回の場合、家父長制の名残みたいなものは失われ、同時に差別性も浄化(ワードロンダリング|こんな言葉ないけど)されたと考えるけどな、僕は。
少なくとも、何らかの意味的、需要と環境に起因する変質が起きているだろうことは間違いないな、と。
そういえば蟹工船ブームの時もしたり顔で「鮹部屋がープロレタリアートがー」とテレビで主張してたけど違和感あったなあ。
擁護する人たちが主張してるようにオタク業界の「俺の嫁」からの転用なら、全然差別性は浄化されてないと思うけどな。 あれはモロ従属物ってニュアンスでしょう。
もしそこに差別性が潜んでいるとして、どうしたいのでしょう。
結婚ってそういう契約じゃないの?お互いに縛り合う契約。 だから、結婚自体を嫌悪する考えの人もいるよね。