2011-02-28

http://anond.hatelabo.jp/20110228020716

90年代後半あたり(当時中高生)は、猟奇殺人とか通り魔とかのニュース見るのが楽しかったな。

別に誰と語るわけでもなく。他人の不幸や失敗が楽しいわけでもなく。あれは単純に、厨心をくすぐる、刺激的なエンターテインメントだった。

犯行声明だとか、生首だとか、白昼の惨劇だとか、被疑者自殺だとか。自分人生とは切り離された扱いの、フィクション的なノンフィクションという。

そして、当時はそういう感覚が、表立ってではないにせよ、ある程度共有されてたような記憶があるよ。

記事への反応 -
  • ν速民は2chの中でもクズの代表のように言われているけど、 クズであればあるほど、ニュースに関心を持ちやすい傾向があるんじゃないか。 ニュースは基本的に他人の不幸を扱うもので...

    • 90年代後半あたり(当時中高生)は、猟奇殺人とか通り魔とかのニュース見るのが楽しかったな。 別に誰と語るわけでもなく。他人の不幸や失敗が楽しいわけでもなく。あれは単純に、...

    • よく知りもしないで、他人や何かを批判する奴は増えた気がする。 そういう事で、辛い思いを数年味わった。

    • うーん、それはそうなんだが、一方で「他人」は「人間」じゃないという見方はあるし、社会はその見方で成立している様にも思える。

    • gokinoの行動体系についてかとおもったけど、どうなんだろう?

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