けど、今まで政治に興味を持ったことがないんです。
面接とか試験の時に時事問題として少し新聞読んだぐらいです。ホントに。
それで、正直どこの政党が勝とうが、誰が当選しようがそんなに変わらんだろって思ってます。どこがやっても、誰がやっても、そこそこ上手く(あるいはそこそこ下手に)やってくだけなんじゃねえの?みたいな。
実際に政策のせいで痛い目を見た経験/実感がないからなんですかね?勉強不足も多分あるでしょうがよくわかりません。とにかくこれが正直な所です。
で、選挙権貰っても選挙に積極的に参加するつもりは無くて、白紙で出すのもつまらんからネタ投票でもするか、あるいは面倒だったら行かなくていいや。ぐらいに考えてました。
ところが、ここ数日のはてブやらツイッターやらを見てると、無投票と白紙投票について熱い議論がされていて、前述の通り政治に興味の無い自分には何が本当の話なのか分かりませんでしたが、とにかく白紙でも無投票でも結構怒る人がいるんだなあ、というか、怒られるような事なんだなあってのが分かりまして、どうすりゃいいのか途方に暮れてここに吐き出させてもらった次第です。
まず、政治に興味がないのはおかしい事なんでしょうか?現状、周りの友人を見ていると別におかしい事じゃないと思えてしまうのですが、皆自然と政治に興味を持っていくものなんでしょうか?また、自然に興味が持てなかった人間は努力してでも興味を持つべきなんでしょうか?
後、実際に投票に行くとなった場合の話なんですが、まず前提として、大多数の人は消去法的に投票先を決めているという考えでいいんでしょうか?
その際に、どの程度情報を仕入れて投票先を決めているんでしょうか?候補者の人となり、実現したい政策、その政策が実現される事でどの様な影響があるか、ブログやツイッターをやっていたらそこからどんな考えを持っているか読み取ったり、街頭演説をしていたらそれも聴いたり、とかでしょうか。その人が属する政党についても同様に調べる必要があるのでしょうか?自分が投票し得る候補者全員について調べる必要があるのでしょうか?また、自分が重要だと思う事について、情報が見つからない場合にはどう判断すべきなのでしょうか。
それから、選挙後の事も心配です。自分が投票した候補者がもし当選した場合には、その人の動向をチェックし続けるべきでしょうか?落選した場合には、代わりに当選した人の動向をチェックし続けるべきでしょうか?自分が投票した政党についてはどうでしょうか?
学校や親から、たまにですが、選挙権貰ったらちゃんと選挙に行くように言われていたのを思い出して、ちゃんと選挙に行く為に知りたい点を書いてみたのですが、どう思われますでしょうか。
自分は書いていて、気にしなきゃいけない事が多すぎると思ってしまいました。一般的な基準が分からないので、もしかしたらまだまだ気にしなきゃいけない所があるのかも知れません。普通の人はそんなに色々気にして無いよって言って欲しい所ですが、だとしても、それならばどこで、どの程度手を抜いているのでしょうか。「選挙でちゃんと投票する為にやっておかなければならないn個の事」みたいな情報はどこかにないでしょうか。
俺も院卒だけど。
何度やっても「人の話を聞け」と言われる。自分では、人に言われた事にものすごく気を付けているつもりなのに。ある時、もう、真面目になるのを諦めて、「不真面目になろう」、「人の話を逆に全く聞かないようにしよう」と思った。一旦、全部の注意をまっさらにして、自分が他人だったときに論理的に考えてやられると困るミスから潰していくようにした。他人に共感することはできなくとも、いい大学に入っているのだから、論理的に考えることは一応できる。そうしたら、だんだん、普通に作業できるようになった。
この感覚は非常によくわかるなあ。仕事全般じゃなくて人間関係全般でね。
もし元増田で話題になってる院卒の人が過去の俺と同じ問題を抱えてたと仮定すると、その人は多分何かにコンプレックスを抱えてるんだよね。一番ありがちなのは多分「KY恐怖症」。院卒というぐらいだからいい意味でも悪い意味でも世の中ではかなり特殊な経歴の持ち主なわけで、世の中の常識と自分の常識がずれてることが結構あるわけよ。だから、周囲に自分を合わせなきゃいけないって気持ちを常に抱えてる。そこで色々無理してしまうんだ。たとえば俺の場合だと、ちょっと例が古いけど周囲が小島よしおネタで盛り上がってるときに、自分は小島よしおの何が面白いか全く理解できなかったわけ。ところが職場の飲み会で「小島よしおなんて何が面白いんだ」というわけにはいかない。だからそこは無理に合わせて「そうっすね、最高っすよね」とか適当に言って笑っておくしかない。そういう細かいことが積み重ねって神経すり減らして肝心なところに目がいかなくなっちゃうんだよね。
本当は、知識として覚えておかなければならない注意などごく一部で、多くの注意は、論理的に考えれば帰結できるはずなのだ。ところが、このタイプの人は、他人を必要以上に恐れており、他人に言われたことは全て守らなければならないと思っているため、「注意された理由を考える」という概念が欠如している。そして、言われた注意を全部丸暗記しようとする。この方法は、実は、試験では上手くいく。
ちょっとその説明は誤解を招くんじゃないかなあ。そういうことを言うとますます「高学歴=試験しかできない」という世間の思いこみが強化されそうだし。
ここで一番重要なところは「他人を必要以上に恐れており」という部分だよね。「注意された理由を考える」という概念が欠如してしまう原因はなぜかというと、結局「自分の論理が通用する」という自信がなかったり、あるいはどういう論理を使っていいかそういう実例を見たことがないから想像ができなかったりということでしょう(逆に、学校の勉強ができない人の多くは「学問を必要以上に恐れている」問題を抱えている気もするけどそれはさておき)。
ここでもまた自分語りするけど、俺は子供の頃から音楽をやってたんだけど、上達がどうも遅くて何十年やっても自分の演奏から素人臭さが抜けなかった。それなのに、「子供の頃習わされてたけど特に好きでもなかったから」とか言ってる人の中には、俺よりよほど技術的に洗練されている人がゴロゴロいたりして、自分がよっぽど才能がないと思ってたんだ。その才能の差を努力で埋めようとして基礎練をいろいろやってみたけれど、やればやるほどおかしな方向に進んでしまうので、本当に絶望するしかなかった。
でもあるとき都合で師匠を変えることがあって、愕然とした。その師匠は単に自分が何かをやってみせて「こうしろ」というのではなく、「この曲のこの箇所ではこのような音をつくるために、体のこの部分をこういう感覚で動かせ」とか、全部理詰めで教えてくれたんだよね。何がびっくりしたかって、「効率よく体を動かす」みたいな発想で頭を使っていいっていう発想がなかったから。「芸術とは才能と努力のたまものである」みたいな漠然とした考えしかなかったからね。
これは本当におかしなことで、勉強とかいうことになれば、必要な知識や手法を理解するためにはどうしたらよいかとか、時間と効率を考えて戦略を立てるという考え方が自然にできていたのに、趣味の方ではまるでそういう発想が働いていなかったわけ。この差はなにかというと、結局は学問の方では「自分は馬鹿ではない」という一定の自信があったのに対し、趣味の方では「自分には才能がない」と最初から決めてかかっていたことで発想を萎縮させてたってことなんだと思う。
自信というものの大切さは一事が万事で、元増田の院卒の人も結局は同じ問題抱えてたんじゃないかと思うんだよね。院卒の人なんてのは得てして「象牙の塔の学問なんて机上の空論」なんてことを言われ続けて屈折してたりするから、案外その人も
「自分は社会でやっていけない、自分の考えでものごとを進めたら失敗する、だから自分ではなにも考えないで人の言うとおりにしよう」
という風に自分で自分を押さえ込んだりしてしまっているんじゃないだろうかね。
これを克服するためには何らかの成功体験が必要なんじゃないかと思う。俺自身、自分がそういう発想に陥りがちなのを自分で気づいて自分で克服したきっかけは、上に書いた趣味の分野での気づきだったし。
というわけで提案。元増田の人は、たとえばその院卒の人にメインの仕事とは離れた部分のことで、責任も重くなければ息抜きにもなるようなこと(たとえば社外ボランティアとか、やりがいはそれなりにあるけど失敗しても謝れば済む程度のこと)を割り振ってみるとかどうでしょう。一度何かできっかけをつかめれば、「自分で考えていい」ってことに自信を取り戻せて、氷が融けるようにじわじわと本領を発揮する場面が徐々に増えていってくれるんじゃないかと思うんですが。
逆に言えば、女の子と雑談を脱線しながら永遠と話せるやつはモテるってことだよね。
臨機応変にゴール地点を変えながら話を作るの意識してみよ~っと。
自分が決めたこと以外は、全部の事に口を出したい人がいる
だいたい、年寄り
あいつら印刷物には勝てないから、
お前のせいで他の皆が無駄に金使って、
引っ張られた方は一生忘れないってことを覚えとけ
1.本当の支援者
2.子供
3.商売人
4.腹黒
圧倒的に強かったのは、ガッチガチに締め付けてるとこ。
協力しないと村八分。
この暑い中、70、80代の人が練り歩き、
休日は当然事務所に詰めてた。
圧倒的な票を取ってったけど、
あそこに生まれなくてよかったと心の底から思った。
もちろん、枠減らして。
問題なく暮らせるだけの給料出さないと。
能力ある人は都会に行って、
そこそこの人は勤める。
バカと田畑持ちしかいないよー。
20年後がガチで怖い。
オタクだけじゃないよ。
一般的に男のほうがコミュ力っていうか雑談ができない。ふしぎ。
老人と話しても、男の老人のほうがコミュ力が低いよ。おじさんも同様。
若いころの戦争の話とか、若いころの仕事の話とか、まあ聞いてりゃ面白いけど、
ほとんど一方的にしか話さないよ。で、最後は「あんたも若いんだからがんばんなよ」と。
女はどこでも女同士でおしゃべりできるよね。初対面でも話せる。
これまでの経験からわかることは、
1.男は目的が明確な話しかできない。
厨房の頃、すごい崇高な気持ちで浮気とかダメ絶対と言ってたけど、
実際に大きくなって浮気したオレが来ましたよ。別に大人になれとも思わんけど、
自分が思っている考えなんて、誘惑やら事実やらの前には無力だなあとは実感した。
結局、出来ないヤツが「そういうことは良くない」と言っても、
絶対つたわらんよなあ。実際にやろうと思えばできるだろうけど、
彼女悲しむからやらない。とかいうのが大事。
tashikani. douisuru.
大人は子供に 大人になれとはいわないよ。
お前がなりたいお前になれ、って感じで言う。自分のことは自分で責任を取れ、弱いものを守れという。
だが、決して、大人になれとは言わない。
なぜなら、大人とは、何かによって定義されるものではなく、自分で考えて責任が取れる人間のことだからだ。
彼らが言う大人というのは、ようするに、不良が、タバコすったら大人だよねとかそういうノリであって。オレは大人だって言いたいだけで、あなたに大人になれとは実はいってないのがポイント。
30人くらいになったんじゃないかなあ。と。
で、せっかくあまり触れ合わない人たちなので
いっぱいお話をしてみました。
コスプレってどうですか?とか結構楽しく話せたんだけども、
こちらの相槌の間をくれない。おいおい。待てよ
お前さんは誰と話してるんだい?と思いましたよ。
こちらが話題を振っても膨らまない。
○○が好きなんですか?はい。終了。
まあ、オレと話ししたくなかったのかもしれんけど
もちっと話そうよって思いました。
女の子には積極的に話にいっていた人が居たので、
話しかけてみたら、すげえ冷たいというか
ガン無視されましたwマジでちょっと笑えたww
少しムカツイたので、そいつが熱心に話しかけてた女子が
困っていた顔をしていたので連れだしてみました。
すげえ、睨みつけられました。
一方で、女子はというと、ほとんどがBL大好きな腐女子でしたが、
みんなそれなりに話ができる人が多く、
終わり。
非童貞で、社会人であるってだけで、人格まで立派な人間に成長出来てると思ってる皆さんこんばんは。
数年前まで童貞を貫くことを誓い合った知人が社会人になり、童貞を捨て、浮気を平然とする人間になっておいて、
私に「大人になれ」と言ってくるのがたまりません。
彼氏がいるくせに、男に好意を強く持たれるような言動をする知人の、「だって私は悪くないもん!向こうが勝手に好きになったんじゃん!」
というセリフは聞き飽きました。彼女の言う大人になれと言うセリフも聞き飽きました。
連日連夜、他人を批判して粗探しをして些細なことですらネタ認定してれば自分が満足出来る匿名の皆さん、
あなた達に大人になれと言われるのが我慢なりません
一重瞼いいと思うけどなぁ。
私なんて生まれつき二重なのに、こないだカウンタで「アイプチとかやってます?」とか言われたぜ。
奴らの頭の中にゃ、アイプチやって二重瞼にしてる一重瞼にコンプレックスを持つ日本人、しか存在してないのさ。
気にしなさんな。
ものすごい素朴な疑問なんだけれど、小選挙区制では死票が多く大政党に有利になり、比例代表では政党という単位でしか選べない、という難点があるなら、全国区での候補者単位投票に一本化すると、何がマズイの?
もちろん損する政党はあるわけだけれど、そういう利害関係のお話はわかった上で、なおどういう問題があるのかな、と疑問に思っている。
すぐに思いつくのは、
2 地域の代表が選べない
3 大都市圏中心の選挙戦になり、地方の利害が反映されにくくなる
というのがあるけれど、この内2は、そもそも国政のための議員を選ぶのに地域代表というのも奇妙だし、それよりは分権を推進して地域のことは地域で何とかする、もしくは地域の代表(県議とかね)が中央からお金取ってくるとか、まぁ解法はあるんじゃないかと思う。
そもそも、大都市というのはそれだけ人が住んでいるから大都市なわけで、その利益がより優先されるのはある程度仕方ないでしょう。
なんか説明が足りなかったから書くけど
だから、わたしの気持ちもわかるはずなのに
勝手に撮ってたのがイラッときたわけ。
のろけでもなんでもないよ。
仕事の関係で海外で暮らしている。現地では数少ない日本人駐在員という立場で、社員の数は日本人より現地人のほうが多い。当然、現地で暮らすわけだから現地の文化を受け入れてやっていくしかないということはわかっている。腹が立つこともたくさんあるけれど、日本人が几帳面すぎるんだと思ってある程度は我慢している。そんな中でただ一つ納得いかないことがある。
それは、ご飯をよく食べるかどうかで現地の文化を受け入れられているかを判断されること。俺は基本的に日本食以外のご飯が好きじゃない。そりゃあ接待とかだったら「美味しいです」なんてにっこり笑顔で言えるぐらいの常識は備わっているが、こっちに来てそこそこ経つのに同僚の前でまで我慢して現地食を食べたいとは思わない。できれば飯抜きでいいくらいだ。俺がちょっとでもご飯を残すと、現地の社員は「またおまえは食えないのか?いい加減慣れろよ」なんて言ってくる。
俺と反対にもう一人の日本人駐在員はなんでも食べる。ばくばく食べる。だから現地社員も俺とそいつを比べて「ほら、こいつはちゃんと食べてるだろ」って言う。しるか。まあ、納得いかないにしろそいつがご飯をしっかり食べてるのはすごいと思う。でも俺は食べたくてもダメなんだよ。別に努力しなかったわけじゃない。
いや、ここまではいいんだよ。俺はご飯が食べれない。あいつはご飯が食べられる。どっちが現地の文化を受け入れているかって、この時点ではそりゃあ俺じゃない。だが、そいつはご飯以外の文化を受け入れているとは言い難い。だから俺は納得いかない訳だ。具体的に例を出すと、交通機関の使い方。俺はなんでも使う。電車でもバスでもタクシーでも、経費と相談して効率のいい乗り物を選択している。ところが飯はばくばく食べるそいつは通勤にすらタクシーを使ってる。しかも経費でだ。理由を聞くと「地下鉄は混んでるし、バスは乗り方がわからん」と言う。他にもたくさんある。
とまあ、ここでどれだけ言おうが、文化といえば一番わかりやすいのが食文化だ。それに順応しているかどうかで判断されるのは仕方無いのかもしれない。これからも俺は文化を受け入れられていない人間で、あいつは文化を受け入れている人間という評価になるのだろう。本当にくだらない悩みだ。でも、ただ悲しかったから書いた。
お前もやったんだから、FランのDQNと同じになったわけだ。おめでとう、ようこそ。
女は所有品じゃないのだから、その絶望は当然だろう。