たしかにそうだね。茸使い続けて、W杯に勝ったんならともかく。
http://www.appbank.net/2010/06/14/iphone-news/133014.php
たとえば、Roller Coaster Extremeっていうゲーム。日本とUSで今現在のランキングと☆を比較してみよう。
日本では4位、☆1が80、☆5が53。
USだと2位。☆1が2138、☆5が1015。
本当に「日本のアプリ市場が残念」なのかな?普通に評価されてるようにみえるけど。
「概ね気に入ってるんだけど、これがないから嫌だ、対応して!☆一個!」というレビューをたまにみかけますが、強烈に開発に負の影響を与えてしまいます。
これってレビューでもなんでもなくてリアルなクソだよね。これで「強烈に開発に負の影響を与える」って一体どんな形で影響を与えるんだろう?
もちろん傷つく開発者もいるだろうけど、だいたいの人はこの文章がただのクソだって事を認識してると思うけどね。
Appleはレビュー欄のクソをちゃんと除去して欲しいというのは、また別な話でしょ。
これはなにか確証があるのかな?上のRoller Coaster Extremeの例を見るとそう思えない。
こうしたレビューを棚に書き込まれると感覚的には1970年代に頑張って屋台のラーメン屋開いたら暴走族がやってきてどんぶりにゴキブリ突っ込まれて「なんやこれはわれぇ!?」と常に暴れられてるような感じなんですが、
AppStoreで出来る事は三つ、アプリをダウンロードする事、レビューを書く事、☆の数で評価をつける事。この例えは果たして適当なものだろうか?
もう疲れていたから利害で判断した。
http://e-daimajin.com/index.php?option=com_content&view=article&id=117:2009-08-07-03-54-57&catid=158:ooteeikaiwa&Itemid=83
英会話スクールは、女の社員でもっていると書きましたが、生徒も半分は女性です。ですから、女の武器を使う機会は多いものです。その対象は主にオヤジとか、あまり女性と付き合ったことのないような男性に限られますが、彼らはお金を持っていますので、最大限の金額を引き出すことができるのです。
わたしたちのスクールでは、一応制服があります。その制服の胸のボタンをはずすとか、スカートのすそを出来るだけ上げるとかしています。それだけでも、オヤジに対してはかなり効果があります。
たとえば、スクールのシステムについて話をしているとき、チラッチラッとほほ笑みかける、これがけっこう効果的です。
「俺に好意を持っているのかな」
「もしかすると、誘えばついてくるんじゃないか」
とかそんなことを考えているのではないでしょうか。相手が男性の場合、よほどの変わり者ではないかぎり、こちらが女の武器を使って戦えばたいてい屈します。
「手のひら返しがひどい」という批判が度を過ぎているので書いておく。
大会前に言われていたことは「このままでは負ける」であった。
だからこそ、岡田監督は中心選手の中村俊輔を外し、戦術の大幅な変更を行った。
それで勝った。
見ようによっては、「このままでは負ける」という意見が正しかったわけだ。
それだけの話だ。
「最少不幸社会」と「脱小沢」へと路線転換した民主党を思い出せばいい。
「国民の醜い手のひら返しだ」と批判する人はいるだろうか?
……いるな。
とにかく、おまえら「サッカーはよく分からないけど手のひら返しは醜いと思う」って言いたいだけだろ?
自発的に「ごめんなさい」をするのは構わないが、誰かに「ごめんなさい」を強制するのは良くないと思うぞ。
http://anond.hatelabo.jp/20100624215915
「ゲーム」の可能性がある。やりたいことは浮気じゃなくて「妻に責められること」だから、妻に別れられると困るんだ。何度でも繰り返すから、根本原因を知って止めさせたいというのでなければ、離婚したほうがいい。相手に非があるから裁判に持ち込めば離婚が通るだろう。
目指した方が良いね。小さな不満が燻り続けるよりずっと良いと思う。
A
南アフリカ「ガチ抽選をした結果がこれだよ!」 南アフリカ「フwラwwンwwwスwwww」
メキシコ「南アフリカ乙」 メキシコ「フランスびびらせるなや!」
フランス「実質シードワロスww」 フランス「移民のせいで負けた(キリッ」
B
アルゼンチン「なんだ楽勝じゃん」 アルゼンチン「なんだ楽勝じゃんw」
ナイジェリア「2位ならなんとか」 ナイジェリア「ギリシャに負けたのがすべて」
ギリシャ「2位ならなんとか」 ギリシャ「韓国に負けたのがすべて」
C
イングランド「アジアとやらせろよ」 イングランド「結果オーライ……え?次ドイツ?」
アルジェリア「無理くさい」 アルジェリア「無理だったわ、やっぱ」
D
ドイツ「そこそこの組み合わせかな」 ドイツ「セルビア戦は想定外だったけど」
オーストラリア「2位いけるな」 オーストラリア「ドイツ戦さえなければ……」
セルビア「2位いけるな」 セルビア「日本戦のころに戻りたい」
E
デンマーク「日本には勝つとして・・・」 デンマーク「日本に負けた……」
日本「なかなかいい組み合わせだな(キリッ」 日本「なかなか良い組み合わせだったな(キリッ」
カメルーン「日本には勝つとして・・・」 カメルーン「日本に負けた……」
F
ニュージーランド「なにこの無理ゲー?」 ニュージーランド「イタリアw」
スロバキア 「ニュージーには勝つ」 スロバキア 「ヘタリアw」
G
北朝鮮「どうしてこうなった!」 北朝鮮「どうしてこうなった!」
コートジボワール「1位通過するよ」 コートジボワール「ポートゥギー空気嫁」
ポルトガル「1位通過するよ」 ポルトガル「次スペインかよ……」
H
スイス「ホンジュラスには勝つ」 スイス「一位通過するはずが……」
ホンジュラス「まぁ、がんばる」 ホンジュラス「ごめんねスイス」
暗いと不平を言うよりも
コメントにて
例えばこういう意見が、『本当は注意したいけど説教くさくなるのは避けたいから、「口うるさい人」が言っていたという形にしよう』と人に判断させるのだとおもう。
人にちゃんと注意する人を疎んじるのも、差別の助長を助長する。
てめぇ、何大だよ? (ビキっ"!?"
A B
南アフリカ「ガチ抽選をした結果がこれだよ!」 アルゼンチン「なんだ楽勝じゃん」
フランス「実質シードワロスww」 ギリシャ「2位ならなんとか」
C D
イングランド「アジアとやらせろよ」 ドイツ「そこそこの組み合わせかな」
E F
デンマーク「日本には勝つとして・・・」 パラグアイ「ニュージーには勝つ」
日本「なかなかいい組み合わせだな(キリッ」 ニュージーランド「なにこの無理ゲー?」
カメルーン「日本には勝つとして・・・」 スロバキア 「ニュージーには勝つ」
G H
北朝鮮「どうしてこうなった!」 スイス「ホンジュラスには勝つ」
コートジボワール「1位通過するよ」 ホンジュラス「まぁ、がんばる」
ポルトガル「1位通過するよ」 チリ 「ホンジュラスには勝つ」
↓(Half a year later…)
A B
南アフリカ「フwラwwンwwwスwwww」 アルゼンチン「なんだ楽勝じゃんw」
メキシコ「フランスびびらせるなや!」 ナイジェリア「ギリシャに負けたのがすべて」
フランス「移民のせいで負けた(キリッ」 ギリシャ「韓国に負けたのがすべて」
C D
イングランド「結果オーライ……え?次ドイツ?」 ドイツ「セルビア戦は想定外だったけど」
アメリカ「結果オーライ」 オーストラリア「ドイツ戦さえなければ……」
アルジェリア「無理だったわ、やっぱ」 セルビア「日本戦のころに戻りたい」
スロベニア「まあこうなるわな」 ガーナ 「ドイツさんありがとう」
E F
日本「なかなか良い組み合わせだったな(キリッ」 ニュージーランド「イタリアw」
G H
北朝鮮「どうしてこうなった!」 スイス 「一位通過するはずが……」
アニメ『四畳半神話体系』の第10話が非常に印象に残った。私自身の似たような経験があるから。
半分引きこもりみたいになって、どこへいっても自分がいて、否、自分しかいなくて涙が出てくるような時期が一時期あった。第10話の内容とは若干それるけれども。
あとは、なんど人生を生きたとしても、細部は違えど似たようなものになるかも知れないと言う予感。結局は私は自分の「四畳半」の世界で、その範囲で生きるしかないのか。それはよく言われる自分の「身の丈をわきまえる」というやつだろうか。しかし、このような考え方も、諦めが過ぎる気がする。あるいは向上心が足りないというか、それこそ目の前のチャンスをチャンスとも思わなくなることになりはしないか。学習性無力感という概念を思い出す。なにをやってもどうせ変わりはしないという感覚のことだ。人間、無力感(どうしようもないという感覚)があると暑くても窓さえ開けなくなる。そもそも発想すらできなくなることを知っている。
私たちは自分の部屋以外に、他人の部屋と行き来することが必要なのだと思った。ただ今回の話のように自分の領域だけに住むことも悲しく精神的に不健康であるが、他人の部屋ばかりに入り浸るのも不健康なのだろう。どちらも必要である。両者のバランスは人によるだろう。自分の領域にいる時間が長い人間は閉鎖的ではあるが、強固な意志や精神的軸、ポリシーを持っているように思われる。他人の領域を渡り歩ける人は「自分」が無いようにも思われるが、社交的で柔軟だと思われる。
この2つの領域どちらも必要と言うところに、人間生活・社会生活における嘘、ある種の忘却、特定の事柄の非意図的な無視などの発生源がある気がする。2つのほかに、皆の部屋(公共)もあるからなぞらえて考えるのであればこれについても考慮しなくては。