2010-06-26

感想

 アニメ四畳半神話体系』の第10話が非常に印象に残った。私自身の似たような経験があるから。

 半分引きこもりみたいになって、どこへいっても自分がいて、否、自分しかいなくて涙が出てくるような時期が一時期あった。第10話の内容とは若干それるけれども。

 あとは、なんど人生を生きたとしても、細部は違えど似たようなものになるかも知れないと言う予感。結局は私は自分の「四畳半」の世界で、その範囲で生きるしかないのか。それはよく言われる自分の「身の丈をわきまえる」というやつだろうか。しかし、このような考え方も、諦めが過ぎる気がする。あるいは向上心が足りないというか、それこそ目の前のチャンスをチャンスとも思わなくなることになりはしないか。学習無力感という概念を思い出す。なにをやってもどうせ変わりはしないという感覚のことだ。人間無力感(どうしようもないという感覚)があると暑くても窓さえ開けなくなる。そもそも発想すらできなくなることを知っている。

 私たちは自分の部屋以外に、他人の部屋と行き来することが必要なのだと思った。ただ今回の話のように自分の領域だけに住むことも悲しく精神的に不健康であるが、他人の部屋ばかりに入り浸るのも不健康なのだろう。どちらも必要である。両者のバランスは人によるだろう。自分の領域にいる時間が長い人間は閉鎖的ではあるが、強固な意志や精神的軸、ポリシーを持っているように思われる。他人の領域を渡り歩ける人は「自分」が無いようにも思われるが、社交的で柔軟だと思われる。

 この2つの領域どちらも必要と言うところに、人間生活・社会生活における嘘、ある種の忘却、特定の事柄の非意図的な無視などの発生源がある気がする。2つのほかに、皆の部屋(公共)もあるからなぞらえて考えるのであればこれについても考慮しなくては。

 連想が膨らんでしまったが、面白い話数だった。

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