絵が描きたいのに、ヘタなのでどうしよう、って悩んでる人へのアドバイスだけど、見方を変えると、これって例えば「カラオケで歌いたいけどヘタ」っていうのと一緒だと思った。
ありがちな悩みとしては「音痴・音が外れる」・「自分の歌い方がなんかキモい」ってのがあると思うけど、つまり「歌のエッセンスを吸収・理解してない」って事だから、そこをまず、自分の自意識というか潜在意識の中に刷り込む、という作業が必要になってくる。
よく言われるのは「バケツをかぶって歌う」という方法で、つまり『自分の喋る・歌う声を、自分の意識で「ちゃんと」認識する』ための回路を、自分の脳味噌の中に作りあげるための作業だ。バケツをかぶるのはさすがに恥ずかしい、という人は、右でも左でもいいから、自分のしゃべった声を片方の耳でよく聞こえるように、片手で『耳を大きくするような』感じで覆うといい。お勧めは、左耳(感情をつかさどる右脳と直結してるから、というのがその理由らしいけど)。
それができたら今度は、「自分の歌った声をまず録音し、再生して自分の耳で聞いてみる」というプロセスを経験してみる。『自分の行動を客観的に捉える』という作業で、大概の人はここで「自分の声のキモさ」というものに悶絶するようだ。つまりそれだけ、普段は自分の声や喋り方について、無頓着というか、意識して発声している人が少ない、ということ。
そこで目(?)をそむけず、どこがどうおかしいのかって事を、きっちり意識する。上手くなりたいのなら、一連の歌声の中で、自分で気づいた点について、ノートを付けてみるといい。
本当はここで、楽譜が読める(音階を視覚的に認識・置き換える)だけの知識があればいいんだけど、それは特に無くてもかまわないと思う。歌詞カードの部分に「ここで一瞬、タメを作る」とかメモを書く程度でも、とにかく「歌う際に、歌詞で気をつけるべき部分」を自覚的に理解しておく。
あと、「俺、滑舌が悪くて、何言ってるのか分からないってよく言われるんだよね」って人もいると思うけど、そこらへんは「お年寄りの人に、大声で、ハッキリ・ゆっくり語りかける」つもりで、歌詞を読み上げる練習をやってみると、あんがいと解消が早い、と思う...
あと、カラオケがうまくなるには、歌手の歌い方のモノマネをするのが有効だ、っていうのはよく言われる話だけど、声のトーンをたんに真似るだけじゃなく、例えば「歌手の表情や姿勢」まで真似てみるというのは、本当に有効。だから歌を聴くだけじゃなく、できればPVとかで歌手の細かいしぐさの格好まで徹底的に真似るのも、いいと思う。
それから、たまには目をつぶって「耳に神経を集中させて歌声を聞いて」みて、歌ってる人がどういうアクションをしてるのかを、想像してみる。なーんとなく曲を聞くんじゃなくて、「歌い手の表情を想像」できるように、意識を高めて聞いてみる。そうすると、真似る対象のイメージがすっと頭に浮かぶ→あとはそれを真似て歌う、というプロセスが自然に出来るから、そうなれば歌う事はぜんぜん苦じゃ無くなる。
それができたら、今度は筋トレに相当する「ボイストレーニング」も、簡単なものでいいから並行してやってみるべき。歌う際に腹筋を使える(腹式呼吸)のと使わないのとでは、それこそ雲泥の差がつくし。
ここで高音や低音の部分の声が出ない、という悩みについてなら、高音部分はファルセットというか裏声を使えるならそれで誤魔化す方法もある。低音の場合だと、多少は体格の問題が出てくるけど、秋川雅史(「千の風になって」の人)のような感じで、腕を広げたりして姿勢を変えると出易くなる、気がする。ま、このあたりは、興味があるなら専門家にちゃんとした指導を受けたほうが早いよ。
もちろん、絵が上手く描けなくて悩む人よりは、歌が上手く歌えなくて苦に思う人って、タイプとしては少ないとは予想する(絵が下手なのは見てすぐ分かる事だし)けど、苦痛に思ったりしながら歌の練習をするっていうのは、やっぱり間違ってると思う。だって、気持ちよく歌うことって、単純に楽しいじゃん。上手く歌えたら、かっこいいじゃん。
でもよく、芸能人カラオケ大会とかの番組で、ブサイク芸人が酷評されたりする場面もあるけど、あんなのは無視していいと思う。ジャイアンリサイタルじゃない限り、誰かが歌う事が他人から非難される事って、あまり無いはず、だし。
それと、英語の歌を歌いたいなら、もちろん原曲を何度も聞き込むのは大事なことだけど、簡単な英会話や文法も勉強するとさらにいい。もっともここらへんは、歌える人にとっては「何を今さら」な事かもしれないけど、歌詞の内容を熟知したうえで歌うのと、そうでないのとで、これまた曲の深みがぜんぜん違ってくるのは、言うまでも無いよね。
健闘を祈る。
腐男子というのは、立つ瀬がない。
僕は腐男子だが、腐女子(BL)というものが日の目に晒されてから、
あからさまな腐女子(BL)ヘイトがあらゆる場所で行われるようになったし、未だにその勢いは下がることがない。
そこで気になるのがオタクを自認する男性からの「男はホモなんて見たくない」という言葉だ。
まず、オタクという言葉にはオタク=男性で女性キャラが好きな人、という無意識のイメージがあり、そしてその人たちの声は大きい。
僕はその気持ちがわからない。
オタク、そして男の代表とも言えるその口ぶりが分からない。
だって僕はBLが大好きだ。
腐女子の人たちには、同人活動をしていて近寄ってくる男というのは、出会い目的だという恐怖をもっている。
イベントで男に買いに来られると売りたくない、気持ち悪い、拒否するというのを見てから買いに行っていない。
まぁどうしても欲しい本があったら通販があるし、普段買うのはほとんど商業BLだ。
腐女子の人たちが警戒したり過敏になったりするのは分かるし、できるだけ協力したい。
しかし、窮屈さを感じている。
腐男子でいるというのは、わたしは腐女子ですという以上に居場所がない。
もうオタクですって言ったってビックリされることなんてないが。
自分の嗜好を他人に肯定してもらえっていうのも変な話だがそういうことじゃなくて…。
あーーーわかんねえ。
じゃあ、暗闇を見つめよう
http://anond.hatelabo.jp/20090308182359の続き
今も相変わらず、東方の二次同人ゲームを作っている。前に参加した例大祭の後にももう一つ完成させて、例大祭とは別の即売会に参加したりして楽しんでいたが、最近少し自分の心持ちが変わってきた。
そろそろ、東方の二次同人ゲームを作るのはやめようかと思うようになってきている。
というのも、最近何の気なしにウィキペディアを見たら、東方の作者のZUNさんって1977年(3月)生まれらしい。ということは東方紅魔郷は2002年の夏だから26歳の時に作ったことになる。
一方、自分が今27歳だから、自分はその時を既に過ぎてしまっている。今の私はあのようなクオリティのゲームを作ることはできない。自分が大学生の時から、東方というゲームは知っていて、いつかはああいうゲームを作りたいと思っていたものの、臨淵羨魚という言葉の通り、思っているだけではダメで、行動しなくてはならなかった。
もちろん、自分も少しは上達しているつもりではいる。自分でプログラムを書いて、絵を描いて、音楽は素材サイトから利用させてもらったりで、ファミコン程度のゲームは一人で作れるようになった。でも、まだ頑張りが足らないかもしれない。
二次同人ゲームって楽そうに作っているイメージがあるし、実際キャラクターを自分で考えなくていいから、その点は楽に済むのは確かだと思う。東方のようなゲームを作りたいと思っているからには、やはり二次同人はよろしくないと思う。
なんかショー☆バンで4番の土山君が相手ピッチャーの威圧感で、一本足から普通のスタイルで打席に立った時に、監督がそれをたしなめたシーンを思い出した。
そう、自分は自分で(たとえ、人から評価されないとしても)自前でなキャラクターを作るべきなのだ。
東方の魅力って弾幕シューティング、キャラクター、音楽の3つが良く言われているように思うけれども、自分がさらに凄いなと思っているのは、1年に1つは作品を完成させてファンの期待に応えている、半分のステージまで遊べる体験版を公開して新規プレイヤーを開拓している、という2点。
東方以外にも同人ゲームでは魅力的なゲームはもちろんあって、(フリーゲームだから同人とは違うかもしれないけれど)洞窟物語とかおばけの行進曲はとても面白いゲームだと思う。
でも、何年も開発に時間がかかったりしていたりすると、自分としては参考にならなかったりする。作っている最中は、早く公開したいと思っているので、我慢できるのが1年間くらいなんだと思う。
別には私は弾幕シューティングを作りたいわけではなく、作ってもただの2番煎じになってしまうので、作る予定はないのだけれど前述の2点は是非とも見習いたいと思っている。
なんか固い文章になってしまったけど、要約すると、今までゲームは楽しみながら作ってきたけど、それがさらに上達という目的を意識しながら作ると、さらに楽しくなるかなーという感じ。
先天性でかつ手術費用が掛かるかつ生死に関わるときのみだろ
で、7万のベーシックインカムを与えるだろ。
合計20万の生活ができるようになる。
ニートがいる。
月7万もらう。
これでニートを養う。
年金生活者も廃止。
食事って車で言えばガソリンのようなものだと思うんですよ。
つまり必要な量さえ補給しておけばOKなもの。
〇〇ちゃんを救う会とか特定個人のために使われる募金と物乞いってどう違うんだ?
ぱっと思いついた相違点を描いてみた。他にも相違点を見つけた人いたら教えてください。
■同じところ
特定個人のために使われる
生きるためにやっている
■違うところ
団体か個人か
元増田です。
一緒に生活してみないとわからないことなんて、たくさんある。
そうですね。自分もそれが心配だった。
「バツイチの娘」と「同棲経験のある娘」と、どっちが市場価値が低いかは、
誰でもわかることだよね。
彼女自身的には「失敗したくない」という思いが強いらしいんだけど、
失敗というのは具体的には離婚のことで、
じゃあどうすれば上手くなるの!?