生物としてって話になるとオスとしてたくさんのメスが受け入れた状態で種をばら撒ければ
パンがなければパンを焼けという話じゃないのかな?
すげ~よくわかる。
ネット社会なんて終わりのないラリーみたいなモンで、先頭集団にいると思ったら、後ろから凄いエンジンを積んだ最新鋭のクルマがビュンビュン追い抜いていくし、何とか追いつこうと頑張って、パーツを補強したりしても、今度はクルマじゃなくてジェット機みたいなのがいつの間にか参戦していて、ラリーのレギュレーションそのものが変わっていた、なんてことがよくあるよね。
なので、一番でゴールすることを目的にしないで、自分の乗っているマシンのペースで頑張って、途中途中の景色を楽しんだり、同じぐらいの性能のマシンの人達とツーリング気分で楽しむ、みたいなノリの方がいいのかな、と思います。
BIを狙った詐欺まがい福祉行為が横行するのではないか?
それは増えるかもしれないね。
逆に、犯罪者が犯罪を犯すインセンティブも小さくなるから減るかもしれない。
どちらにせよ、BIの制度の問題というよりも警察が頑張るかどうかみたいな話だと思う。
窓口じゃないかなー
ただBIが導入されることで、固定住所を持つことへのインセンティブが高まり、ホームレスや住所不定の人が減るんじゃないかな。
低額のアルバイトの人や、デリヘルさんなど高級だが源泉が怪しい人など、非サラリーマンを対象とすると
課税額が非常に怪しいが、こういう課税が怪しい人へのBIはどうするのか?
当然ながら給付するでしょう。
現状の税制でもまともに課税できてないことには変りないですし。
BIの財源としての課税に関しては所得税の累進課税が必要なくなる(税率固定でも実質的な累進課税になる)から、消費税でもいいとおもうよ。
嘘っぽいシーンのほうがたくさんある。
そういうのみると盛り上がってた気持ちが盛り下がるからやめて欲しいよね。
2000年以降の作品でも結構そういうのあるから困る。
ソードフィッシュとかあまりにもコンピュータのことを知らなすぎて笑える。
お前は小学生なのかと
投票時の圧力って言っても投票所で圧力かけなくても他で圧力かけてる団体はいくらでもあると思うが。
人を強制的に捕まえてきて、特定の人に投票させるって意味なのか。
うーん、確かにそれをやる団体はありそうだ。
10年くらい、ネット眺めて遊んできた。
はじめて2ちゃんねるを覗いた時はドキドキした。
面白いテキストサイトに憧れて自分もウェブ日記始めて三日坊主に終わってみたり、タイムラグのひどいチャットルームで知らない人と喋ってみたりした。
ネットに夢中になって朝になってしまうことも何度もあった。
ブログは何回開設したかわからない。はじめてトラックバックを受けた時は嬉しかったな。
数年前くらいまで、インターネットが楽しいなんて言ったらオタク扱いになって嫌われるかもしれない…と思って話題に出さないようにしてた。
でも気が付いたら誰でも当たり前に使うもので、むしろ使えないほうが駄目という風になった。
技術はどんどん進んでいって、いろんなサイトはすごく綺麗でかっこよくていろんなことができて、もう本当すごいとしか言えない。
でも、昔みたいにドキドキすることはあまりなくなった。
きっと頭のいい人たちは高いレベルで使いこなして、あいかわらず刺激的ななにかをつくりあげているのだろう。
ついていけなくなった私が落ちこぼれなのだ。さみしいけど、仕方ない。
私は私に相応しい、また別のおもしろいものを見つけるしかない。
今度は、誰かのつくるものに便乗するだけじゃなくて、誰かをすこしでも良い気持ちにできるようななにかを生み出す側になりたい。
ウェブを通していろいろな人々が、たくさんのことを与えてくれた。助けてくれた。
ここでこっそり、お礼を言わせてください。ありがとうございます。
http://blog.livedoor.jp/nipotan/archives/19009730.html
Twitterを使ったドラマを来月やるらしいが、脚本家は自分のアカウントのパスワード忘れてつぶやけなくなってたりするし。
もともと、そこに病気があるわけではない。病気でない人が、病気と判断するから病気が生まれるのだ。
それなら、「「病気」ですがなにか?」と開き直ってみたらどうなんだろう。
それでいいんじゃないか?
「病気ですが、別段不自由している訳ではないので、治療する必要はないです。放置しておいてください。」
それでいいと思う。
ただ、自分はロリコンじゃないので、元増田のような人に対して不安を感じる事もある。
ただ、ここで、本質的なのは、思慮分別があるかどうかだろう。
つまり、責任能力はあった上で、ロリコンという性癖を持つことはなんら問題がないと思う。
問題は、責任能力がない上に、ロリコンという性癖を持っていることだろう。
しかし、こういう指摘をする人もあるだろう。
現実の性犯罪をみていると、ある種の性癖、つまり”本能”が”理性”を飛び越えることはままある。
理性を明らかに有しているであろう人であっても、性犯罪を犯すことはあるからだ。
故に、病気として根絶しようとする力が働くのだと考える。
ただ、可能性だけで目障りなものを切り捨てていくのは、実に短絡的過ぎる。
最近の洋画は割と自然に小道具として使われてるんじゃないかと思うけど。
「トランスフォーマー」でeBayの出品記録から身元が割れる描写があったり、「セブンティーン・アゲイン」では高校生の主人公が学校で乱闘騒ぎを起こしたらクラスメートがこぞって携帯で撮影したがって、撮影された動画が速攻でYoutubeにアップされて保護者の目にも止まって「乱闘したけど五分五分の戦いをしたよ」とうそぶく主人公に「嘘つけボロボロにやられてたじゃないか。Youtubeで見たぞ」と保護者が切り返す場面があったり。ってそういう話ではないのかな。2つともPCというよりネットか。
「バンテージ・ポイント」で暗殺にあたって会場の動きを見ながらiphoneみたいな携帯端末で無関係な場所の扇風機を遠隔起動して警備の注意をそらせて、更にその隙に別の場所のライフルを遠隔操作して狙撃するとかいう仕組みは結構できそうで面白いと思った。
証拠隠滅のために画面の消去ボタンをクリックすると画面全体にでっかく「CAUTION」とかいう文字が点滅して自爆カウントダウンが始まるとかそういった演出は最近見ないような気がする。