2009年04月09日の日記

2009-04-09

http://anond.hatelabo.jp/20090408140601

確かに安定環境下では有性生殖よりクローン増殖のほうが強いことが多い。

変動環境下ではどうかしらないけど。

けど、コストやリスクを考えると優秀な人同士が子供を作るのをすすめるのがベターなような気がする。

研究としてはおもしろそうだけどね。

葬式饅頭

ある方のお葬式に行って参りました。

その方の好きな曲が流れて、どこか心温まる式でありました。

享年72歳でありました。

わたくしと全く同じ年に生まれ、全く同じに歳を取り、

そして来年からはわたくしばかりが歳を取るなんて、とても いじわる。

今年頂いた年賀状に、体調が悪く病院での療養を繰り返している旨が書かれておりまして、

わたくしは、あの方に出してしまった年賀状をずっと悔いておりました。

いつも猛々しく明瞭に笑っていたあの方がご病気なんて、わたくしには考えもつかずに、

あの方に当ててしまった思慮のない手紙など、誰かどうか破り捨てて届けずにいてほしいとまで願いました。

ただ、わたくしはもう、そんな浅はかな手紙のやり取りしかできないほどに、

あの方のことを、何も知らなくなっていたのです。

去年交わした年賀状では、山登りに励むあの方の近況が綴られていたから、

今年もそのように過ごされていると思い込んでおりました。

わたくしは、愛しておりました。

静かに、細く、長く、愛しておりましたよ。

あの方と出遭って50年以上も過ぎ、少し可笑しくなってしまうのですが、

本当にこんなに長くも、思い続けてしまいました。

あの方に、そんな戯言を告げたこともありました。

手紙で、言葉で、態度で、折りに触れて。

莫迦だと仰って、取り合っても頂けませんでした。

それでも、あの方の「莫迦だ」と笑う表情がいとおしく、わたくしは何度か莫迦となりました。

莫迦ゆえに、あの方が結婚をされたとき、わたくしは死のうかと思いました。

でも死んでしまったら、あの方がどのように生きていくのか知れなくなってしまうので、

わたくしは遠くで、生きていくことを決めました。

遠くでも、必死に聞き耳を欹てて、あの方の近況を動向を活躍を拾いながら、

何通かの手紙と、たま電話を、数えるくらいですが、繰り返してまいりました。

近年のやりとりは、もっぱら年賀はがきのみとなっておりました。

それでもわたくしは、まだ数回はあの方の前に立てると信じておりました。

よもや、あの方のお葬式にゆく日など来るとは思いませんでした。

ただ、お互い齢72。

身近に死の気配は感じておりました。

わたくしは、わたくしの葬儀にあの方が来る日を待ち望んでおりました。

わたくしの葬儀で、わたくしのためにあの方が一粒でも泣いてくれたら、

わたくしの人生は十分であったと思えたでしょう。

そんな浅はかな夢をあの方の遺影を眺めながら、そっと謳いました。

式の終わりにはその遺影を抱いた奥様であろう方が、息子達に抱えられ泣きくずれておりました。

わたくしもその遺影を抱いてみたかった。

でもわたくしは、できるだけ真っ直ぐに式に参加いたしました。

棺桶のあの方のお顔をしっかりと覗き、手を合わさせて頂きました。

あの方のお式で、「泣く」などという行為をしてしまったら、

わたくしの愛は、今嘆きくれている親族やご友人の方々と同じになってしまうから、

わたくしは泣きませんでした。

思いつきもいたしませんでした。

ただ帰りの列車の中で、お饅頭の入った箱を抱きながら、わたくしは虚しくてなりませんでした。

あの方との年月が、あの方の死が、お饅頭になって手元に残ってしまった。

わたくしとあの方の50年以上の関係は、たった二つのお饅頭になってしまったのですから。

わたくしの人生は、一体なんだったというのでしょう。

列車からは丁度よい頃合いの桜が見えました。

あの方がもう見ない桜を見ながら、お饅頭の箱の蓋を開け、みっともなくも その一つを頬張りました。

こんな味しかしないあの方の死を、心より悼みながら。

こんな味しかしないわたくしの生を、心より痛みながら。

それでも不思議と笑みがこぼれてしまうのです。

あの方を失ったこの世界で、わたくしはようやく辻褄が合ってゆくのです。

やっと、やっと、世界中で一番愛している人が誰であるかを声に出せる日がきたのです。

わたくしは玄関で塩を巻くのも忘れて居間に飛び込みました。

そして長年連れ添ってきた背に言いました。

「心より愛しています、あなた」

あなたが無邪気にもう片方のお饅頭を頬張る姿を見つめながら、

私の人生も、あの方の人生も一体なんだったのでしょうと思いました。

数分後、食べきられてしまったお饅頭に、

そう、きっとお饅頭みたいなものなのだろうと納得いたしました。

一つは自分のために。

一つは誰かのために

ニコニコ動画BMSを衰退させる

キー音無しのBMS動画に「良譜面」ってコメントしてる奴ら何だろうね

http://anond.hatelabo.jp/20090409032421

全部読んだが、あんたの言ってることに100%賛同。ここまで賛同できるエントリは少ない。横増田なのにレスしちまうくらいに。

http://anond.hatelabo.jp/20090409031820

うん、あなたの主張することはそのまんま理解しているよ。

芸術家として生きることは宝くじを買うのと同じぐらいリスクの高い人生の選択。

それはプロスポーツ小説家とかよりも厳しいかもしれないね。エンターテイメントですらないからね、特に日本では。

俺の主張は学校の教師風情に人生リスク管理何ぞして欲しくないってことになるのかな?

人生リスク管理はまず親のしつけ教育観、人生観、そっちであって欲しいね。

ちなみに俺自身は美大卒家族持ちのインハウスデザイナーで、芸術家ではないけれど自分のやりたいことは捨てていないよ。

なので、リスクを回避しつつ如何に芸術家としての魂を捨てずに生き続けるのかを選択しているつもり。

でも、個人の生き方を論じるつもりはないよ。

人それぞれいろんなところにぶつかっていろんな選択をして生きていくわけで、

芸術に限らず天才じゃないからって死ぬわけにはいかないし。

どうやって自分の矜持を保つかってのはつくづく難しいよね。

ま、そんなわけで、元増田美術教師としての有様に対して『気持ちが悪い』といっただけ、ほんとそれだけなんだ。

http://anond.hatelabo.jp/20090408200432

会社勤めで、クラブにも風俗にも通う男。

だったら、どこにいてもおかしくない普通の男の話。

かしこれは、会社にもクラブにも風俗にも勤める女のお話

そんな人本当にいるの?

「います。私がそうです。」

ファンタジーでしょう?

「私はファンタジーではありません。」

別に私でなくてもいいなら風俗に行ってこい?

「私のことが好きなら、私の求めに応じなさい。」

嫌われてもいいの?

「代わりはいるから。」

あんた誰?

「私はあいつ。」

そういうファンタジー

「やってることは同じ。」

正社員ホステス風俗嬢を掛け持ち?

「本当はどうだっていい。」

大事なのは?

「私。」

の?

「欲望。」

http://anond.hatelabo.jp/20090409022731

まあそのようにして人生を棒に振る人を大量に出すことになるわけだが。

人生を棒に振らない人ってどんな人?教えて、まじで。

大概の人間はそこそこ棒に振ってるような気がしてる。

それから、俺はすっごいロマンチストだから、

芸術のためにささげちゃう人生って最高なんで誰にも評価されなくても人生棒に振ったなんて思わない。

ってことはこの範疇外のひとりだよね?

http://anond.hatelabo.jp/20090409031609

悪いがオレは美大出身でデザイナー・・・と言いたいところだが、今はデザイナーじゃないな。

WEBページのバナーとかアイコン程度なら時々作る。

あ、昔はSFCゲームキャラクターとか背景描いてたこともあるよ。

http://anond.hatelabo.jp/20090409030903

よし、じゃあオレの主張を書こう。

「絵の才能は見切れない」

もしもこの命題が正しいとしよう。

であるならば、見切れないものについてどう判断するべきか?

見切れないまま人生を進んでみるべき?

答えは「見切れるもので判断する」だ。

見切れるものは下記のようなものだ。

収入はどのくらい必要になるか?

・どのくらいの学校にいけば、どういう職業に就くことができるか

・その職業ではどういう技能が必要で、どのような資格をとっておくべきか

・何歳まで働くつもりなのか。老後のためにはどの程度の蓄えが必要か

扶養家族はいるか。いるとしたらどのような対処をとるべきか

実に明確だ。

つまり「見切れない要素」はもう「見切れないこと」である時点で要素間の競争力を失っている。

「見切れないこと」に賭けるということは計画性を破棄したということと同義であり、

非常に確率の悪いギャンブルに賭けているようなものだ。

宝くじを買うようなものだぞ?

http://anond.hatelabo.jp/20090409025209

ここまでデザイナーのことを理解してない奴がいるとは驚きだけど、一般的にはこんなもんなのかなあ。

増田にはデザイナーはいないのかな。誰か反論してくれないかな。

もはや反論する元気はないので、言い逃げですまない。おやすみ

http://anond.hatelabo.jp/20090409025459

ごめん、そこまで親切じゃないし、増田自分趣味を書き連ねる根性ない。

逃げたと思ってくれていいよ。逃げてるし。おやすみ

http://anond.hatelabo.jp/20090409024551

俺には全然同じじゃないんだけどなー。だから気持ち悪がってるんだけどなー。難しいなー。

絵の才能がないから美大はやめろ

才能なんて見切れないよってのが俺の主張ね。美大に入ることと芸術家として生きていくことは別のこととして考えている。

元増田が美大に入れる程度に絵が上手いかどうかは見切れると思ってるのは否定してない。俺にも出来ると思うから。

それは偏差値大学ランク選ぶのとほぼ同じ作業、かな。

教師に向いてないから教師辞めろ

将来どんな芸術家に化けるかなんて見切れないよ、という観点から、元増田及びその御友人一同の悩みは自己欺瞞だろ、というのが俺の主張。

ここまで一般化されるとごめんなさいって気分。言い過ぎたかなー。

学校美術の授業をするのに向いてるかどうかは判別できないからね。いたってまじめでいい先生なのかもしれない。

でも進路指導する美術教師としてはちょっとどうなの、とは思うよ。

http://anond.hatelabo.jp/20090409025146

お前の言っている芸術がなんなのか言ってみてくれ。

オレの知らない芸術がなにか発生しているのか?

自分が観測している限りでは平面芸術に関しての新しい潮流は発生していない。

すべてが過去にあったアイデアの翻案で、徐々にブラッシュアップされるタイプ進歩はあっても

驚くような革新的な作品はここ何年も見たことがない。

(といってもまったく最近事情には疎いのだが)

本当に新しい何かが始まっているならぜひ知りたい。

http://anond.hatelabo.jp/20090409024551

言っていることは一理ある。

デザイナーになれるかどうかの境目は

1、単調かつ機械的作業にどこまで耐えられるか

2、自分の主張を殺して、客の要望にあった作品を作ることができるか

ほぼこの2点につきるんじゃないかと思う。

それ以外の点は普通に写実的な絵が描けるセンスがあれば努力カバーできるからだ。

まあ足切りはあってもいいと思う。

まったく絵心がなかったら、デザイン関係の作業はすべてが苦痛になるからだ。

そんなものが続けられるはずがない。

http://anond.hatelabo.jp/20090409024537

芸術なんて現代芸術発生以降のここ数十年くらいはたいした進化はない。

ああ、お前にとっての芸術価値はコレで分かったのでもういいよ。ありがとう

俺は新しい芸術との出会いにコーフンする変態なんだ、許してくれ。

http://anond.hatelabo.jp/20090409023930

だが世の中には頭の中がお花畑のやつが大量にいるんだよ。

お花畑をそのまま世に解き放つというのか?

ニートをこれ以上増やしたいのか。

ああ、そっち方向の話だったのか。

それはまた別の話だろ。才能努力も覚悟もない奴な。

んー、ごめんパスで。本筋じゃないし。

http://anond.hatelabo.jp/20090409023712

だから、そう言うしぶといタイプも居ないと言ってる訳ではなくて

そう言うしぶといタイプなら、人生でこれから飽きるほど聞く事になる「やめといた方が良いじゃない?」の最初?の1人な訳だ

それって、言われたからやめるって程度なのなら早くやめさせた方がつぶしがきく訳だしこれは良い事だよね?

で、しぶといタイプならそんな事くらいで動じないからしぶといタイプなんだろう、多少は不愉快かも知れんが

言われたからやめるってタイプの人をつぶしがきく内にやめさせるメリットと勘案してどうよ?って話

私の価値観では、別に良いんじゃない?

良い事も有るし不愉快な思いさせる事も有るだろうから好きにすりゃ良いと思うって程度なんだが

ピカソになれるかどうかはすぐに分かっても、デザイナーになれるかどうかはすぐには分からないんじゃ

http://anond.hatelabo.jp/20090408121545

全然、分野外で情報科学大学院卒なんだが・・・いや、そりゃ、ピカソになれるかどうかは、高校の授業でちょっと見ただけで分かるかもしれないが、世の中、ピカソしか求めていないわけじゃないでしょ?大学院卒でも、大半の人材研究者にならずに、普通エンジニアとして暮らしているように、美大卒の人も、多くはデザイナーになったり、美術教師になったりして暮らしていくんじゃないの?しかも、一言で「デザイナー」ってったって、色々な種類のデザイナーがいるよね。絵心一つにしても、Webページのデザインを考えるのと、Tシャツの柄を考えるのとでは、ずいぶん必要な技術が違ってくるように思うんだが。ほとんどの技術職はよっぽどのことがない限り、特に才能がなくても訓練すれば見につけて、そこそこ食えるように世の中は出来ている、と思うんだけど、そんなことないの?

まとめるとさ、いいたいのは、「ピカソになれるかどうかは、元増田の言うとおり、授業で見ただけで分かる。が、ピカソレベルに達しなくても、絵の技術を使って食っていける職場はたくさんあると思う」んだ。もし、絵の道をあきらめさせた奴が、美大卒後、「絵はあきらめたけど、漫画家になる」とか「絵はあきらめたけど、フィギュアで食ってきます」とか、「絵はあきらめたけど、フォトレタッチで食ってきます」とかいって、その道で成功したら、どうするの?あきらめさせた責任とれんの?

後、この元増田に「お前は教師に向いていない」といっている奴も見かけるが、それって、元増田の「才能がないからやめろ論」を肯定していることにならない?

  • 絵の才能がないから美大はやめろ
  • 教師に向いてないから教師辞めろ

どこが違うの?元増田は、考え方が極端なだけで、教師に向いている/向いていないの話じゃないと思うよ。

http://anond.hatelabo.jp/20090409024301

芸術なんて現代芸術発生以降のここ数十年くらいはたいした進化はない。

次世代の芸術家だって今とたいしてかわりばえしないさ。

むしろお前のほうが芸術に夢を見すぎてて怖いぞ?

http://anond.hatelabo.jp/20090409023428

この計算意味が分からん。頭悪くてスマン。

んで、未来芸術家才能なんて今の芸術家崩れには見切れないと思うんだけど、その点はどうなの?

バームクーヘンって

今食ってるんだけど、真ん中の穴ってもったいなくね?

そこも詰まってたらいいなあって思った。

http://anond.hatelabo.jp/20090409023712

だからそういう覚悟のあるやつは何をいってもやるに決まってる。

そいつには何を言っても無駄さ。

だが世の中には頭の中がお花畑のやつが大量にいるんだよ。

お花畑をそのまま世に解き放つというのか?

ニートをこれ以上増やしたいのか。

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