2009-02-21

派遣社員の男との生活が一ヶ月で破綻した

 当時私30歳会社員、相手38歳元派遣社員

 私の転職を期に相手は仕事を辞め、ひとつの住居に越してきて生活したが、一ヶ月で破綻した。

 要因は私の側にも相手の側にもあるのだが、考えてみようと思う。

 まず私の側。転職したはよかったが、やはり環境の変化は大きかった。

 しかも配属先がカットオーバー前のテストを行っているプロジェクトだった。

当然のように激務。電車で帰れないこともしばしば。(帰れてるだけマシと普通に言い返される業界ではあるが)

 もっと仕事的に落ち着いてから引越しも同居もすべきだったんだろう。

 些細なことがどんどんストレスになって、最終的にはノイローゼになってしまった。

 じっとしていても顔の一部がぴくぴく動いて止まらなかったり、頭痛がしたりした。

 あと比較的完璧主義の性格も災いしたと思う。

 相手の不甲斐なさが許せなかった。ストレスの元にもなった。

 相手がうつ気味だったので、しばらく仕事を休んでのんびり家事でもやってくれれば治るだろうなどと思っていたが、あまあまだった。

 収入的には激務だったこともあり、何も問題はなかったがいかんせん私の疲れが全く取れなかった。

 最終的には会社にいて「家に帰りたくねー」とまで思うようになった。することがなくなっても会社にい続けて、しょうがないから帰るか、という日もあった。

 相手はいわゆる工場勤めの派遣社員で、うつ病を患っていたがその兆候は付き合っていた頃からあった。

 今にして思うと、相手は今まで垣間見ることも無かった男並みに稼ぐ総合職OLとの格差というものをまざまざと見せ付けられ、付き合っている時から次第にダメージを受けていったのだろうと思う。

 相手は会社の寮だったため、家賃が安く、一ヶ月に自由になるお金こそあまり二人の差は無いように見えたが、年収は数十万円(私が激務時と比較すれば100万円くらい)の差はあった。

 だがそれは仕方の無いことだ。

 私は高校卒業専門学校に入り、国家資格を取るべく頑張って勉強国家資格を取り、会社就職した。私が19歳とか20歳とか、電話帳くらいの分厚さの資格過去問題を解いている年齢の時、相手は勤めたばかりの会社自分の意思で辞め、その後フリーター無職を自ら望んでしていたのだ。

 底辺の処遇に嘆く人には、限りなく運が悪いという人も中にはいるのだろうと思うが、自ら望んでそうなった者に誰が同情の気持ちを寄せるだろうか。

 とはいえ、好きになった人のため、私は仕事が多少忙しかろうが、相手が家事を全てやってくれるのだからばりばり頑張っていこうと決めていた。

 だが現実はそんなに甘くは無かった。

 基本的に、役目を預けた以上、裁量の権限も全て預けたつもりに私はなっていた。分からないことは聞いてくれればいいのだが、基本的には全て自分で考えて実行してくれればいいのだと思っていた。

 だが、工場のラインという、「決められたことだけをする」仕事をしてきている人間に「自分で考えて問題を解決する」ということがとても難しいことなのだということに私は最後の最後になってやっと思い知らされたのだった。

 お弁当の具を何にするか、朝食に何を食べたいかまで質問攻めにあう毎日を過ごし、さんざストレスを被った後で。

 何をすべきか考えるところも含めてあなたの仕事なのですよ、という感じだ。だが相手はそれができない。しかも昼食を考えるのも面倒らしく、インスタント食品で済ます。私はそれは体によくないから、弁当を二人分作って自分も昼に弁当を食べろといった。だがそれはついに実行されることはなかった。何故そうしなかったのか、理由は聞いてない。あるいはできなかったのか、でも私のお弁当は作ってくれていたのだ。

 この、お昼にインスタント食品を食べてすごすという生活は後々相手の体に影響を及ぼすことになってしまった。

 お仕事お疲れ様もそこそこに何をすべきか聞かれる毎日に、私はまいってしまった。細かく指示を出そうとしたが、ひとつ言ってもそれもろくに遂行されないという状況に、ほとほとまいってしまった。

 さらに悪かったことに、相手は相当に口が達者だった。

 できないくせに口だけは立つのだ。これがさらに私の怒りを加速させた。

 何もできない、稼ぐこともできないうつ病持ちの癖に、という罵倒を腹の中に持つようになるのにはさほど時間もかからなかった。うつ病(=何もできない病気)のくせにどうしてこれだけガンガン言う気になるんだよ、とも思った。(うつ病=何もできない病気、というわけではない、ということは後で自分もうつになり分かることになるのだが)

 できないことはしょうがない。

 ましてや、相手はうつ病なのだ。

 そこを考慮できなくなっている私ももはや、まともな精神状態とはいえなかった。

 また住んだ部屋も家賃ケチったせいか、隣の住人がとてもうるさく、それもストレスの元となった。

 慣れない環境での激務、気を使う人間関係で疲れきって家に帰ると毎晩のようにケンカする。そんな日々が続き、もう駄目だと思った私は荷物をまとめて都内の漫画喫茶に逃げた。

 そこからウィークリーマンションの予約をし、そこから会社に通った。

 定期もないので、3,000円のパスモオートチャージが週1ペースでされていった。ウィークリーマンションは一週間で数万円を費やす。カードの請求額など見たくも無かった。

 結局のところ一ヶ月間、あちこちのウィークリーマンションを転々とし、一度は家に戻った。

 だが相手のうつ病からくる死ぬ死ぬ攻撃(言うだけ言って実際は死ななかったのだが。というか行動的に私へのあてつけに近かった)にもあい、家に警察が来る騒ぎ(近所の人が呼んだらしい。っていうか私が近所の人だったら怖くて同じことをしたと思う)にまでなり、私はあんたのママじゃない、というところにまで考えが至った私は再び家を出て、今度は実家に身を寄せた。(実家は都内なので会社に通うのは容易かった)

 そしてそこから部屋を探し、相手が家にいないところを見計らって荷物を取りにいったりして、最終的には引っ越した。

 荷物は時間がなかったので、必要なものしか持ち出せなかった。結構持っていた本や漫画は全て置いてきた。結局は相手がブックオフなどで処分し、売上を自分の懐に入れたようだが。

 気づいた頃にウィークリーマンションの請求が来て、ん十万などとても払えないので全てリボ払いに変更した。普段絶対リボ払いなど使わないのだが、この時だけは助かったと思ってしまった。相当な手数料を払ったことを考えると、たぶん消費者金融借金したのとたいして変わらないのだろうと思うが。

 ということで、相手とその家で生活したのは正味一ヶ月くらいだった。

 部屋への引越し代、敷金礼金家具代、これら全てを私が払っていたがおよそ100万くらいだった。

 一緒に住む為に揃えた家具は、買ったときの100分の1くらいの値段でリサイクルショップに引き取ってもらった。新古品といってもいいくらい状態がよかった。

 その家具を一緒に買いに言った時のことで私がよく覚えていることがひとつだけある。相手がその時にこう言ったのだ。

「俺、勝ち組

 私はその言葉意味をもっと深く考えるべきだったのだろう。その家具を買うお金を払ったのは私であり、相手ではない。勝ち組といえる根拠のお金を稼ぎ出しているのは私であって、相手ではないのだ。

 100万をドブに捨てたのだという思いと、親ですら「そんなに簡単に一緒に住んだりするから」と同情してくれないことから、つまり私が馬鹿だったのだという結論に至り、私はだんだん精神を病んでいった。

 先に書いた、自立神経系がおかしいと思われる症状が現れだした。

 その後、うつ病の相手は地方の実家引っ越した。もう相手にはそうするしか手段が残されていなかったのだ。職も、貯金もないのだから。

 私はというと精神科の診療を受け、薬を飲み始めた。薬がないと、全く眠れないまでになっていたのだ。

 引っ越すタイミング定期預金を崩して現金を得て、リボ払いも全て精算した。

 今月は、ちょうど私が転職をした一年後になる。一年前の今月、私は今の会社に通い始めたのだ。

 そして一年前の5月、私はうつ病の元派遣社員と同居生活を始めたのだ。

 そしてその一ヵ月後、「俺を捨てるのか」などと罵倒してくる相手の顔も見たくないと思い、逃げ出すことになったのだ。

 同居していた時よりもずっと長く今の家で生活していることになる。というか、あの一ヶ月は幻のようなものとすら思えてくる。

 相手とはもう連絡を取っていないが、ネットでどのような生活を送っているかはある程度見ることができるので、暇潰しに見たりしている。

 意地が悪いが、どうせ就職できないだろうと思ってみたら案の定できていないのでざまあみろとか思っている。そして、口ばかり達者なのも相変わらず変わっていないようだ

 人はそう簡単には変われない。

 だからたぶん、私はこれから先、誰かと生活することはもうないのだろうとも思う。

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