それとなく新聞の折り込みチラシをパラパラめくってたら「アスカ、再来店」の明朝体のでかい文字。
なんだこれ!と思ってよく見てみるとパチンコ屋に宮村優子が来るらしい。
再来店ってことはもう1度来てるのか!やっぱり当時ファンだった人が行くのかなとか思った。
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おう、それくらい楽勝だぜ。
すぐ作ってやるよ。
と思ったら俺JavaScriptよくしらねーんだったwww
多分簡単だろうから他の増田に任せたw
俺が調べるより早いだろww
割り勘にすると、酒が飲めない人がそれだけ損をする、って意見がテレビで紹介されてた。
確かにそうだと思ったんだけど、テレビの中で、酒を飲める人たちが、「別にでもそれでいいんじゃないの?」「それくらいいいでしょ」「だってじゃあどうすればいいの?」「酒が飲めない人はたくさん食べるからちょうどいいでしょ」等と言っていた。どうすればいい、って、自分が食べた飲んだ分だけ払えばいいと思うのだが……酒が飲めないからといってたくさん食べるとも限らないし、酒が飲めない上たくさん食べない人は更に損ではないのか……ていうか酒飲めるあんたらはいいだろうけどね……彼らのこの言い分に僕は密かに怒りを感じていたのだが、傍にいた人が更に仰天発言をした。
「彼らの言い分はおかしいよね」と僕が言うと
「え?でも、そりゃそうじゃね?だってどうすんのさ、割り勘しかないだろ」
「各々で食べた・飲んだ分を払うとか、酒飲まない人からは酒の分だけ割り引くだとかいくらでもあるだろ」
「えー、そんなの面倒だろー。別にそんなたいして変わりないんだしぶつぶつ言う方がなんかおかしくね?わがままじゃね?」
わがまま?!
「そこでわがままとか言うのはおかしいだろ」
「だってそうだろー、酒飲めない奴のためにいちいちそういうことしてやらなきゃいけないなんてさ。皆に迷惑だろ。わがままじゃん。そいつが我慢すれば全て丸くおさまるんだから、我慢してればいいだろ。なんでわざわざ言ってくるんだ」
えぇええええええ
おかしいだろうと思ったが、よく考えてみると、この手の「わがままじゃん」は世に溢れている。ネット上でもたびたびこのての「わがままじゃん」に僕はよく遭遇する。なぜ僕はおかしいと思うのか、そして彼らはなぜ「わがままだ」と言えるのか、それを考えてみると、
要するに彼らとしては、その主張が正当なものであろうがなんであろうが、多数派に迷惑をかける、多数派を嫌な気持ちにさせる、ということが「わがまま」であり「悪」であるのだろう。「俺達多数派が嫌な思いをするような主張は、正当だろうがなんだろうが悪」なのだ。あるいは多数派、でなくともいいのかもしれない。とにかく「俺が嫌な思いをするような主張はお前のわがまま」なのである。そういう「わがまま」の使い方をしている人間というのは割りといる。その人にとってみれば、「現にお前の主張により嫌な思いをしている俺という被害者がいるのだ、お前は他者に迷惑をかけている、わがままをいっているのだ」ということなのだ。この使い方でいくと、他者と対立したときはどんな立場であろうが、なんであろうが、対立している以上、相手に「わがままだ」と言えることになる。だからこそ、ネット上の議論でもなんでも、上記のようなおかしな「わがままだろ」が出てくるのである。
しかし僕はそれはおかしいと考える。
他者の事も考える、とか、他人に迷惑をかけない、とか、そんな口当たりのいい言葉だけをピックアップすれば、いかにもそれだけで「善」のような気がしているが、正当な範囲においては、他者に迷惑をかけても、それはやむなし、ということもあるのだ。それが例えば今回の酒である。酒を飲めない人が損をしないためにはその他が迷惑(この場合は得ができなくなる・面倒くさいという迷惑である)しても、それは「仕方の無いこと」なのである。問題は、それは正当な範囲か否か、の点であり、議論すべきはそこであるのだが、皆そこを考えずただ自分が気分を害しただとか迷惑したなんていうりゆうですぐ「わがままわがまま」と言ってのける。
他者に迷惑をかけない、というのは、絶対的な善では「ない」。個人の自由とあいまって、それは優先されないときも多々ある。それなのに、他者に迷惑をかけない、というのは耳障りがいいものだから、皆なんとなく「いいことだー」とホワホワ洗脳されてしまっている。だから意味の分からない「わがまま」理論がまかり通ってしまうのである。
久しぶりに一人ファミレス行ってきた
でね、なんか俺以外に一人で来てるやつがいなかったんですよ
みんなファミリーかカポー
そんな中で俺は食事して技術書読んでたんですよ。
まー、いーんですけどねー
あれだな。
一人が寂しい訳じゃなくて一人と思うことが寂しいみたいな。
(´;ω;`)
基本的にウェブプログラム系の人間ってそこまで凄いのはいない気がする。
あとやっぱり本当に凄い人はそこら辺の人じゃ理解出来ないだろうし、表にも出てこないだろうね。
これはどこの業界も殆ど同じだと思うよ。
なるほろ。親切にありがと!おれは聞く前にキーワードをたどるべきだったね。申し訳ない。
ソフトウェア開発において「こうあるべきだ」という典型例を集めたものデザインパターンであるのに対し、「こうあってはならない」という典型例を集めたテンプレート集がアンチパターン。
アンチパターンを紹介すると、著者、加害者のそれぞれにネガティブな反応を示されることがある。
それは、アンチパターンとしていくつかの事例を紹介する時、「被害者と加害者」という構図で描いてしまったときに生じる。
読み手は自分の立場や職業にしたがって、被害者と加害者のどちらか片方にしか共感できないからである。
アンチパターンとは過去の失敗事例を検証して、将来の教訓とすることを目的とした情報収集の成果である。
過去の事例を紹介していく中で、特定メンバーの落度や失敗が次々と指摘されていくという形式をとることがある。
例えば、マネージャーがタイトなスケジュールを組み、プログラマが連日徹夜作業に追われるとする。
ここで「マネージャーのいい加減な管理のせいで、プログラマが苦労する」と書いてしまうと、
マネージャー職の人は紹介された事例に反感を覚える。
ブログの著者とマネージャ職へのネガティブコメントが書き込まれるようになる。
うーん、もうちょっと簡潔に書けないかなあ。
syrup16gの解散ライブからこの3週間、syrup16g以外の曲を1秒たりとも聴かなかったけれど、「GOD」のサンプル版をもらってしまった。これはスルー出来ない。自分のベンジー好きさ加減が自分に疑われることにもなってしまう。そして特にsyrup16gしか聴かないと決めたわけでもなかった。他のバンドを聴く気が起こらなかっただけなのだ。SHERBETSの新曲を前に少し気が変わった。
というわけで、「GOD」聴いてみた。
やっぱり久しぶりに(3週間は超絶久しぶり)聴くベンジーはセクシーすぎる。めちゃめちゃかっこいい。ロックだぜ!(?)そして「GOD」かっこいい!やばい!ステキ!と脳内大絶賛。アンコールしまくり。
でもなあ。ああ。もしかして、というかやっぱりというか、久しぶりに聴いたせいでかっこよく聞こえてるだけなんだろうか。これがお預けフィーバー?──なんて疑ってしまうとは、残念な感じ。ベンジーなんだからいいに決まってるじゃないか!と、爽やかに勘違いしながら生きていきたい。──いやいや勘違いって。本当にかっこいいですよ。「GOD」。
友人と深夜語り合いながら思い出した自分は、「思春期だったから」ということで片付けられないような怖い自分だった。
僕は中学の卒業式にもらった色紙や、後輩からの手紙が一枚も残っていない。
なぜなら、やぶいたから。
卒業式の日、沢山の後輩と話して手紙ももらった。部活の同級生とは色紙交換したり、「高校でもハンドボールやろうな」なんて熱く語り合っていた。
それから2、3日たって、僕は家で一人手紙や色紙を読み返していた。ふと思った。「これやぶいたらどんな気持ちになるのかな」
やぶった。全部手で何回も引き裂いて、きれいにまとめてごみ箱に捨てた。その時の感想はまだ覚えている。「ふーん。」それだけだった。
今だったら絶対できない。やぶかれたら、やぶいたやつをぶちのめす。絶対。絶対変だったんだ。
まだある。
高校の時、彼女がバレンタインに大きなチョコレートケーキを作ってくれた。頑張って作ったんだろう、ワンホールほどもあるケーキはきれいにラッピングされて、丁寧にリボンまで掛けてあった。彼女はケーキの入った紙袋を渡しながら、「まぁ家族でたべてよ」とか言って笑っていた。僕はお礼をいって彼女と別れ、家に向かう電車を待っていた。待ちながら、ケーキが重かったので駅のゴミ箱に捨てて、普通に電車にのり、家に帰った。
捨てる時の気持ちは本当に普通で、ポケットのゴミを捨てるように、本当に普通だった事を覚えている。
人間じゃないと思う。
「重いから捨てた」なんて、プログラム通り動く、ただのロボットの反応じゃないか。
まだあるけどもう言いたくない。
精神医学や心理学なんてやってるボンクラ共がよく言う「環境と親の愛情不足が原因」っていうのなら、僕は結構素質がある。両親共働きで、鍵っ子で、学童保育に土曜日も通った。軽犯罪ぐらいならしたことあるし、煙草も5年生で吸った。小学校でも中学でも学級崩壊クラスだったし、3年生の時に6年生にいじめられたこともある。お父さんは仕事とか単身赴任とかで、4年生から大学入るまで全然会えなかった。お母さんが仕事に疲れていて、晩ごはんがポテトチップスだけな事だって何度もあった。
まぁ、僕はそれをネタにして皆と笑っていたし、別に不幸だとかは本当に一度も思った事がない。学童も小学校、中学、高校、全部おもしろかった。でも、ほんとはどこか病気だったんかなあ。
いつも皆とネタにして笑ってたけど、周りに誰もいなくなった時、本当の僕、おかしかった僕が出てきていたのかも知れない。すげー怖い。表でヘラヘラ、裏で冷酷。これじゃほんとのジキルとハイドじゃねーか…なんかすごいな。
でも思う。僕は元々自分で「根本は悪の人間」って知ってたし、周りにもそう宣言してきた。だけど、とりあえずそれがあんまり表に出ていないのは、友達のおかげなんだろう。学生時代はずーっと部活やサークルをやってきて、周りの皆のそばにずっといられる環境だったから。それがでかい。一人の時はゴソゴソしちゃうのだ。やっぱり僕は。
読んだ人に知って欲しいのは、友達は大事ってことと、僕みたいな隠れビョーキ野郎みつけたら優しくしてあげてってことです。どっかにいるからね実際。
ひとりの人間に出来ることなんてそう多くないんだから、みんなが自分の周りが幸せになるように動いていけば地球上の人が幸せになるかもしんないよ!
寧ろ、そこに上がってるのほど嫌ですなー。
ほんとにすごい人のやってることは、ふつうの人には理解できないからだとおもう。
あと、ホンモノは表に出てこない(一般人側に背を向けている)というのもある。