どうしようもこうしようも、とにかく身近に女の子がいれば惚れるというその惚れっぽさを、まず自覚して反省すんのが先じゃね?
むむむ。自分の弱いところを突かれた。その通りですね。
かまってちゃんだからいけないんだな。
気をつけてみる。
お気に入りのイラストサイトがあって、ああ、優しい素敵ないい絵だなあ、癒されるなあ、と思っていた。
当然それらのイラストを描いている人にも興味が行く。どんな顔してるんだろう、どんな格好しているんだろう、と。
そして顔を勝手に想像する。ホワンホワンホワン。あんな素敵な絵を描くんだから、こんな顔だろう。キャア素敵!
その人はブログも持っているんだけれど、つい先日一枚の写真付きの記事が投稿された。
そこに写っていたものは、イラストを描いている人の素顔。自分の想像していた顔とは似ても似つかぬ素顔。
写真を見た瞬間、がらがらんと音を立てるようにそれまでの気持ちが一気に醒めた。
そうか、あんな人がこんな絵を描いているのか。ふうん。ふうん。ふうん。
それ以来もうそのサイトを見に行っていない。これからも見に行くことはないでしょう。
アレはひどい。
オレはもともと□□□が嫌いですから、申し込んですらいないですけど。
抽選とはありますが、お仲間の面子は当然みな当選してます。キモチワルイ。
よく「個人でやろうとしているところが偉い」と□□をほめる人はいいます。
しかし、端から見ていて□□がやろうとしているのは、個人の立場で既存の組織と同じ役割を果たすことに見えます。
すなわち、既存の組織の代替物。
だがしかし、それは今までの広告代理店の替わりに自分がなろうとしているだけではないのでしょうか。
それでは、ただの陣地争いにすぎません。目指すのはネット業界の中谷彰宏? つまらない。
何かを個人でやろうとすることと、個人が個人として自由に何かをできる、ということはイコールではありません。
個人でなにかしようとしている人をDisりたくはないですけど、オレは□□□をどうしても信用できないです。
むやみに信じてると、いつかハシゴを外されそうで怖い。
その人の恋愛優先度が低いか、そもそもあまり興味ないかのどちらか。
主導権?そりゃもちろん惚れられた方にあるでしょ
そう、あんまり興味もたれてない。
気を引くには、やっぱちょいエロな格好してくのがいいかな。
たぶん親切な人が多いんだろうとは思うけど、
memtestはたぶんもうやったんだけど、2ヶ月くらい前にやったので記憶が曖昧w
(2周くらいしてエラーなし。てかそもそも前についてたメモリがエラーでてたので新しいのを買ってきた)
FDDが繋がらないのにどうやってやったのかが疑問。
あの青い画面をみたことだけは覚えているんだが。
「誰か他の人と一緒だったらいいよ」で決まり
言葉というのは、ときにゆかいな気分にさせてくれることのあるものだし、(これはほんとうのことだが)人生を歩むために必要な勇気をあたえてくれることすらある。SF小説のなかの人物が語る、ほろ苦い感傷に満ちた言葉が好きだし、ロシア小説の人物がつかう奇妙な言葉遣いも好きだ。科学者がつかう飾り気はないが力強い言葉も、哲学者のつかうすこし大げさだが確固たる価値観を持った言葉も、ともに勇気をあたえてくれる。こういった言葉の使い手たちは、読むもののこころを高みへいざなってくれる。言葉をつうじて、見たことはおろか、想像もしなかったような世界を見ることができる。ほかではけっして味わえないであろう、独特の興奮に満ちた体験を与えてくれる。だから、言葉が好きだ。
しかしながら、おれの目から世間を見ていると、逆に、言葉にむなしさを覚えることも多々ある。そんなに軽く言葉をつかって、むなしくならないのかと思うような、空虚な言葉に満ち満ちている。
言葉が価値を持つための必須の条件のひとつに、「使ってるやつが、それを本気で信じている」というのがあると思う。あるいは、すくなくとも、「本当かもしれないと信じている」でもいいが。「おまえそれほんとに思ってるのか?」とか、「おまえぜったいそんなの自分でも信じてないだろ」と疑わざるを得ないような状況というのが、ほんとうに多い。おれに言わせれば、世の中の多くの人間は、言葉を軽く使いすぎる。
もちろん、日常生活で冗談を言うなとか、そういうことではない。そういうレベルの話ではないのだ。おれだって、日常ではナンセンスな軽口を叩くことはあるし、そういうやりとりは嫌いじゃない。でも、冗談言う場面と、ほんとうのことを言う場面の区別っていうのは、なければならないもののはずだ。しかしどうにも、本気な顔して冗談みたいなこと言ってる連中が多すぎるように思える。
今日は、そういう彼らや彼女らのことを考えた。いったい何を考えているんだろう。その言葉になんの意味があると思っているんだろう。もっとも素直な回答は、彼/彼女らが言葉を軽視しているという説だ。彼/彼女らは、本当のことを言わないことに慣れているし、そのことをなんとも思っていない。きっと彼・彼女らは、「ほんとう」ということ自体に、価値を見出していないのだろう。実際、数は少ないが、これまでの人生で、何人かそういう人物に遭遇したことがある。そのうちのひとりは、あからさまに嫌なやつだったので、単に無視していれば済んだのだが、なかには、悪いやつには思えないようなやつもいた。そう、言葉を軽んじているにもかかわらず、いいやつというのが、存在するのだ。
べつの回答もある。もしかすると、ああいった人たちは、自分でも、「自分がそれを信じている」と思い込んでいるのではないだろうか。つまり、かれらは、自分がほんとうに何を考えているのかということが、自分でわかっていないような人々なのではないか。これは、あまりに人を馬鹿にしすぎた考えだが、たまに、こうでも考えるほかないのではないかと思えるようなときがある。しかし、これはこれで、しあわせなことなのかもしれない。けっきょく、人は、自分自身の価値を信じて生きていくしかない。
ともかく、ひとつ言えることは、言葉を軽んじ過ぎるような連中には、こっちだって、ほんとうのことは言ってやらないということだ。
http://anond.hatelabo.jp/20071217012345
http://anond.hatelabo.jp/20071217013234
目を覚ませ!!
コンパで女と話した。
「私、マイナーなのが好きでぇー」
ほう
「いつも好きなバンド言っても共有できないから盛り上がらないんだ」
あるある
「知ってるかなぁー?たぶん知らないと思う」
早くいえよ
「知ってる?ニルヴァーナって言うんだけど」
眠いけどかなりむかついたから書いてみた。
本当にしたり顔でそういいきったんだ奴は。
トラウマものだよ、あれは。
寝ないよ
完全に隙のない論理展開したらそれはそれでつまらんけどな。
相手は絶対逃げるしかないし。
隙がないと発展もしないんだよな、そこから。
ブログでもそう。完全な記事ってコメントつけられない。補完することがないから。
ただ相手に勝ちたいだけなら、いろいろ方法はあるんだろうけどね。
仕事関係の研修で知り合った男の人が、結構な頻度でごはんを誘ってくれる。
これまでの誘いは全部他の予定と被ってたので別に悩むこともなく断ってた。
しかし今回は特に予定もない。
ただ、何回も断ってるのにまだ誘ってくれるってのは、やっぱ向こうには恋愛感情があるってことなのかなあ、と悩んでる。直接会ったのはたったの二回で、その二回はどちらも楽しく過ごせたし、その人も一緒にいて楽しい人ではある。だから誘いを断るのも心苦しいし、ほいほいついていきたいのは確か。
でも付き合ってる人がいるにも関わらず、知り合った男の人(しかも好かれてるかもしれない)と二人きりで晩ごはん食べにいくってのはNGなんじゃなかろうかと思ったりもする。というか、彼氏に同じことをされたら少し嫌だ。
でも好かれてるかも、ってのも私の自意識過剰なのかもしれんしなーと思って悩む。つーか、いい加減断るのが心苦しい。
と思ってそれを指摘するんだけど
いつも変な所で揚げ足とられて、おそらく意図的に違う方向に意見の内容を誤解されてしまう。
そういうのをいちいち指摘すると、相手は意味分からんといったり、放り投げてしまったり、あるいはまたも細かい一行だけをとり反撃してくる。
なんつーのかな、それはAだろ、だから、Bになるわけだ。そうするとCで、とか書いてあるところの、一部分、たとえば『「そうするとCで」というけどCなわけはない』みたいな(ちょっと違うかな)感じに言われるわけだ。いや、そこだけじゃなくて、全体で論をなしてるんだからそんなところで反論されても……な感じでさ。
そういうのにどうやってうまく反論すれば良いのかわからない。
要領悪いのかな俺。なんか凹む。
それともうまくいい表せてないのだから、俺が論理になっていないのかもしれない。
何にせよいいたいことが伝わらないのって嫌なもんだ。
なんかこう、「絶対こいつ俺の言いたいこと本当はわかってるだろ!」って時ない?
「分かってるくせに、敢えて挙げ足取りしてズラしてきてるな」って感じ。でもそういうのが分かっても、そこをすっきり論破できるほどには俺はまだ未熟で……
もっとすっきりいいたい事を簡潔に表せるようになりたい。
反論の余地なく。
今の俺じゃなんというか隙がありまくりなんだよな。
言い訳に感化されてんじゃねえよ。
NHKアーカイブスを見た。
十年ほど前の放送番組で、スクールカウンセラーと生徒を撮ったものだった。
そこで写っていた、かつて不登校だった中学校生徒が現在の番組に寄せたメッセージは「自分には必要な休息だった」というものだった。
俺もかつて毎日が辛い時期があったが、がまんして、耐えて学校には行き続けた。親の要請もあるし自分の意地もあった。
でもああいった、かつての不調や逸脱は自分には必要だったという言葉を聞くと、俺もあのころ学校に行かないで好きに生きていれば良かったのかななんて思う。行きたくないつまらないときは休めば良かったのかなと。
大人になったいま、そんなことはできないから。
観想置いてけ
(以下メモ書き。「」内は語りの文章。多分。)
■ETV特集 「いつでもおいで??スクールカウンセラーと中学生??」 44分 (1998年)
語り:宮村優子 出演:その他 登場人物:スクールカウンセラー
再放映:12月17日(月)午前0:25??1:45 (16日深夜)
(リード)
「兵庫県には18万人の高校生がいます...そのうち...長期不登校は5000人」
ミヤムーきたこれ
おかしい。人類補完計画が始まらないのはおかしい。
「震災で....20年間父と....心理学研究所は閉鎖せざるを得なくなりました」
MAX Right on Right?古杉。メンバーどこいった?
「震災で心のキズを受けた人と驚くほど似ていたのです。」
↑そんな着眼点を持つから、似ているのが思い浮かんでいるんだと思われ。これだから心理学屋は・・・
キーワードは安全感、話がうまく進んでいて射るところで、
「コンピュータの画面を通じて生徒と学校が再び繋がりを回復してきたのです」
高橋さん、タイピング遅すぎwww(もしくは、取材班が遅く打てという容貌があったのか?)
(途中激しい中二病の詩が朗読されていたが、不覚にも唖然としてしまいテキストに書き起こせなかった)
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懐に余裕があると立ち直るもんよのう。ところで、他に不登校児いたがどこいった?
もうチェックしたかもしれないけど。
Vine Linux 4.x Tips集 udev 起動中に停止する
てか、いっぱい、udevで止まってる事例はあるみたいね。
でも、いろいろ取り替えても起動しないなら、難しいな。