おまえらは相性が悪い相手と何十年も一緒にいなくてはならない、という地獄を知らないからそういうことが言える。
英語圏でも中国語圏でも貧乏人はいくらでもいるでしょ。ある言語を使う人が多いかどうかとその言語を使う人の暮らしが豊かかは別。日本語を使う人が少なくなるからといって日本人が貧乏になるとも限らないし、増やせば金持ちになるとも限らない。
住み心地のよい街というのは、見えない誰かの努力で維持されているし、その努力が不快なものであることも珍しくない。というか、当たり前。
無断リンクに関しては、それが大手サイト、特に商業系でまかり通った、あるいはまかり通りそうになった古き良き時代があった。よその国は知らんが、日本の企業の「管理」者はなんでも許可制にし、問題になりそうなものを全部門前払いにしたがるので、禁止、禁止、禁止、としたがる。ところが、有用なサイトであれば企業であろうがなかろうが、リンクには価値がある。その価値を得るために必要なことを行わずに、勝手にリンクされたのでは意味がない。
http://d.hatena.ne.jp/Good_Hope/20070908/1189217697
「無断リンクを掲げるのは自由だろ」「無断リンクを宣言するのは勝手だろ」というように、インターネットのリンクは最初から天与のものとして与えられているわけではない。今だって何でも自由なわけではない。実世界の自由と同じく、インターネットの自由も大抵はえらくご苦労な論争を得て確立されている。
たとえば、無断リンクの自由の要求についてはうんざりするような経過を得ている。ディープリンクの禁止に関してはまだ一部大手企業などが頑張って維持している。
窓の割れた住宅を買おうとする人はいない。だから窓を割れたままほうっているのは自由とも言える。しかし、割れ窓の多い町では、やがてみんなが、はっきり言えば考え無しの連中が、窓なんか割れていて当たり前と思うようになる。
「無断リンク」は割れ窓である。ほうっておくと、いつの間にかその辺に増え、いつの間にか「常識」「当然」などといわれるようになる。だから、しつこく注意され、反発するほど攻撃されるのはむしろ健全なこと。だって、皆はあなたを自由の敵とみなしているのだから。攻撃者の中に少々異常者がいるからといって、割れ窓の罪が減免してもらえるわけじゃない。
自由と勝手を同じだと考えるから摩擦を起こす。自由は規律と形式の中にしか存在しない。その規律と形式の維持・拡張が大事だと思っている人なら、割れ窓など放っておくはずがない。
大学の哲学の授業で、学んだことに独自の解釈を加えたら赤点くらってその単位を落としました。
先生、あんたが教えてくれることはもう知ってるって。
オレは古い時代の知識をただ貯めることには何の興味もないんだよ、っていう怒りを思い出した。
http://anond.hatelabo.jp/20070908180255
そうねんですね!7、8年前には既に知っている方がいたんですか・・・。
どうやら、ベル研究所で作られたようですね。
ベル研究所と言えば、UNIXとCですがPlan9もいつかこれみたいに重要な技術として普及するのかなと思って気になったんで書いてみまいた。
あと数年様子を見てみます。
生き残る種とは、
もっとも強いものではない。
もっとも知的なものでもない。それは、
変化にもっともよく適応したものである。
http://anond.hatelabo.jp/20070908174406
みたいに、重要な情報を扱うようなサーバ間がこういうプロトコルを持てばなんかなる気がするんですが。
判断するのは最終的に人間なので、心理的な部分が作用するような。
リンクされることが、
・心理的に解せる
・心理的に解せない
っていう部分がそもそも設計時に考慮されてないのが問題なのかも。
心理学とか社会科学とかその辺の知見が反映されたWWWの構築が大事かもしれませんね。
セマンティック・ウェブってその部分が重要になる気がします。
フュージョンしたら何がおもしろくなるのか教えて。
ある朝 目覚めると 虫になってたっていう あいつか