たとえば映画を見てるとき、物語の主人公に感情移入しながらもどこかで自分自身が残っている。
自分の人生との比較、趣味趣向の介入がどうしても起こってしまう。
作中で用いられた映像技法、メタファー、モチーフ、引用、あらゆる要素の読解が自分の知識に引きずられる。
動体視力が低ければアクションの一部を取りこぼすし、耳が悪ければ音による演出を取りこぼす。
どこまでいっても自分から離れることが出来ない。
夢の中に居ても主体となるのは自分で、自分の知らないことがそこで描かれることはない。
人生の80年をずっと自分として生きるのがしんどすぎる。
たまには降りてみたい。
Permalink | 記事への反応(0) | 09:36
ツイートシェア