ある個人や集団が社会活動をしていて、その活動が周囲から見て胸を打つものであったとする。
その個人や集団に対する「敬意」は自然と生まれてくるものである。
なので敬意を第三者に強制している時点において、最初から間違っている。
その前提において、今の沖縄の基地外で行われている運動に対しては敬意は持てない。
「弱者は清廉潔白でなければならないのか」と言う批判については、「そうだよ」としか言いようがない。
清廉潔白であれ、とまでは言わないが、第三者から見て理解・納得できるものでなければ意味ないよ。
外からの批判を一切許さない、というスタンスの集団は、いずれは連合赤軍の山岳ベース事件のように崩壊する。
Permalink | 記事への反応(6) | 10:14
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邪悪な弱者に味方するものは居ない。
基地外の基地外
だからと言って不敬を働いてもいいということにはならないぞ低能
毎日が敬老の日なんだよ 給料はおじさんが高くさらにそのおじさんも年金を上納しているし
事実陳列罪
敬意ってそんな大層なものじゃなくて相手の心情を尊重する程度のものだと思うけど