2022-04-27

エロくある v.s. エロくみる

自分からエロくあるのと、他人勝手エロく見て消費するのと。

ふたつの違いが本気で解らん。

本人が望んでエロく見せている・あるいは見せていないファッションがあって。

周りに、エロ目線で見ている・またはエロ目線で見ていない人がいる。

でも、服の上に「エロくしてます」ってラベルが貼ってあるわけじゃない。

「私はエロく見せてます」って明言してるわけでもない。

現代日本価値観では、「セクシーな格好ですね?」と聞くこともできない。

中学校卒業アルバムに、クラスメイトデフォルメした絵を描いた。

デフォルメなので、目は強調してある。鼻は省略した。当然、胸も写真とは違う表現になっている。

かに、「これ、エロ過ぎるんじゃないの?」と言われた。

果たしてエロく見せたのは絵師の俺なのか。

それとも読者の彼女勝手エロく見たのか。

どうやって判別すればいいんだろう?

ここに、ある女性がいる。

今日は「私はいま、エロくある」と主張する。

次の日に、まったく同じ格好で、「私はいまは、エロくない」と主張する。

・・・彼女エロくあったり無かったりしているのだろうか?

もし、どう「思う」かでエロさが変化するならば、主体的エロさは、服飾メーカーが手出しできない概念だ。着る服の調整では、主体的エロさはなんら変化しない。本人の心の問題となる。

「思う」ことでエロさが変わらないとするならば、エロさは客観的な見た目に依存する、という事になる。ほとんど何を着てもエロくない人が存在し、逆に何を着てもエロい人が存在しうる。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん