2020-11-28

古典を読む意味

古典という語は曖昧なので、ここでは古代から中世にかけて書かれた文章や詩ということにしておく。したがってここにシオランユルスナールソンタグは含まれない。古典を読んでも日常生活が便利になるわけでも、金が儲けられるようになるわけではない。しかしながら古典を読む意義は大いにある。第一自国古典日本であれば徒然草源氏物語、を読むことで自分がどのような人間であるかについて理解を深められるからである。第二に格調高い透徹した文体によって、煩わしい時事問題人間関係をBGMにしてしまうことができる。ただしこれは厄介ごとを完全に蚊帳の外に置くということではなくて、古典を味わうためにこうした出来事を利用してしまうということだ。またイタロ・カルヴィーノが指摘したように古典を読むときはできるだけ注釈書なしに読まなければならない。確かにそれなしで古典理解することは難しい。しかしそれが古典というものだ。注釈書が原点よりも多くのことを語り得るはずがない。教養を深め人生経験を積んで初めて、若い頃に読んだ古典の見えなかった部分が見えてくるという文句はよく聞かれるもので、原典を何度も人生において読み返してこそ価値があるというものだ。

  • ”ともかくも思はねどただ枕の浮きぬべき心地すれば心憂きものは人の心なりけりと我ながら思ひ知らる” って原文が具体的になに言ってるかわからんかったとするじゃん それが何年も...

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