増田を書こうと思ったのだが執筆速度が遅くなりすぎてやる気にならない。
弘法筆を選ばずなんて言うけど大嘘だ。
弘法大師が使うような筆は、その中で最低品質の物でも、最低ラインなんてとうに超えているのだ。
最高に素晴らしい物と、最高に素晴らしいとは言い難い物を比べているだけなのだろう。
たとえば、60点で合格のテストを受けて、優等生は70点でも「失敗した」というだろう。
優等生にとっては100点がとりあえずの目標で90点ぐらいが及第点なわけだ。
その中で70点は物凄い低くて許せないぐらいの点数となる。
筆として使うのが間違っているレベルの筆は弘法大師の所までは来ないのだ。
万一紛れ込もうものなら、本人の手に届く前に弟子が排除しているはずなのである。
つまり、弘法は筆を選ばずとも自然と最低ライン以上の筆を手にできるのだ。
彼ら名人は、この筆は90点レベルのしょぼい筆だなあと思いながら、一般人からすれば十二分にすぎる完成度を誇る筆を使って文句をいうのである。
全くふざけた話だ。
この諺の本位はそういう皮肉にあるのではないだろうか。
それならば、何も間違っていない。
みんなそのくらいのことはわかってると思いますよ。 ちゃんと冷めた目で弘法大師を見ています。