なんか最近、科学的に正しいかどうかで人の生き方の優劣をつけようとしてる人たちが増えている気がする。
科学というモノサシで測れるのは、あくまでも科学的に正しいかどうかであって、人がどう生きるべきかを判断することはできない。
例えば水素水の健康効果について、科学的な裏付けがないことを指摘するのは悪くない。
自分自身の生き方について、科学的な正しさを基準にするのも問題ない。
でも、科学的な正しさを理由に他人の生き方にケチをつけだしたら、それはもう科学の領分を踏み越えているんじゃないだろうか。
「黙って自分で生きるだけならいいが、宣伝するのが許せない」と言う人もいる。
その問題はコスパ厨がよく陥ってる問題だな。 「子どもとかコスパ最悪でしょ」 もうこの一言がすべてを表してる。 人間が生きる喜びというのは誰にも理解されず効率的でも能率...
個人の合理性と人間存在の合理性をごちゃまぜにしておかしいなと感じない脳みその人間が何言っても説得力ないよ
その個人と人間は本質的には同じなのにそのボーダーを引かせるのが非合理性の享受の表れだっつってんだよクソ雑魚なめくじ
ヒトラーの生まれ変わりかな?
てか、合理的に生きろとか他人に言える、その偉そうな源はどこから来るんだ?
別に合理的に生きる生きないは自由だよ。 それについては俺は何も言ってない。 ただ人間社会においては合理的なやつが非合理な欲求を満たしやすいってだけの話。 知性は本能を充足...
実際のところ、楽しいことや幸せなことが科学とは無縁だから、実にくだらないと思ってるし、科学なんて所詮その程度って思ってるけどな。
2人以上で議論しているなら、普通は応答に5分10分かかるもの。 それなのに1分以内に応答が付いているなんて、書く前から次のトラバを 考えていないとできない=自演、以外ありえな...