何かブログを書けばすぐにはてブのホッテントリ入りする有名プログラマと話をしていると、極論を考えられない人間は思考力がないな、と思わされる。
極論を考えないのはある意味甘えなんだよ。
極論ってのはさ、『常識的に考えてありえない論』な訳だけれど、『現実に起こりうる事ではない』かというとそうでもない。
コンピュータには常識は通用しないので、プログラマはそういう極論を常に考える癖みたいなものがあるんだろう。バグの原因が『常識的に考えてありえないけど起こりうる事だった』ってのは、プログラマあるあるじゃあなかろうか。
そして、『現実に起こりうる事』であるのなら、そこまで考える事に意味はある。だから、『常識的にありえない』と切って捨てて考えない人は思考力がないというか、甘えてる。
ましてや、自分の文章に何か指摘されて「その指摘は極論だからー、ありえないから無視するよー」なんて言ってる奴はスイートすぎるからバレンタインのお菓子の材料になってカップルを作るために使われた方が世の中平和になると思います。
プログラミングでエッジケースを考えるのと、思考するときに極論をもってくるのは意味が違うだろ。
厳密には違うが、このコンテクストでは大差ない。
いや違うだろ。
まったく同じだと言っても過言ではないはずだ。
思考の方法としては、ありえない極論をあえて考え見るというも意味があることがあるけど、プログラミングのエッジケースはありえなかったらエッジケースでさえない。
Windows「予期しないエラーが発生しました」
極論は必ずしもありえないことではないよ、ということを元増田は言っているわけで。 そこで『ありえない極論』と思考が固まってるのはよくないよー。
意味は違うが、エッジケースを考える癖が付いている人、つまり冒頭のプログラマだが、その人はプログラム以外の話題に関しても極論まで考える癖が付いているように観察される。 そ...
極論といわれるものは 煩わしい曖昧な要素を排除し 問題を簡略化する前提を持った言説なのだ しかし実際重要なのは 簡潔には述べ辛いその曖昧な部分である なぜならそれだけが物事に...
SE「仕様書の範囲外なので対応しません」
客「それは、しようがないな。。。」