2013-03-10

不穏な空気のないことが不穏

Facebookを覗いていたらなんだか気持ち悪くなった

いい人たちばかりのはずなのに、歪んで見えてしまった


twitterは、雑踏の中に放り込まれた感覚と似ている

知っている人、知らない人が混合していて、雑多な人々に揉まれ窮屈に息をする

一方でFacebookは、知り合いばかりだ

顔なじみのクラスで「ねえ、私の話きいて!はいはい!」と一斉に手を挙げられているような

それと同時に誰もが「いいね!それいいね!いい!ねえ、私の話聞いて!」

右も左も笑顔日記帳をひけらかしている

でも、誰も文句を言わない


本来はグループというのは、根暗で目立たない奴がいたり、不良がいたり、馬鹿がいたり、優等生がいたりして、やっと成り立つ

誰かが楽しそうに話している裏で、誰かが泣いていたりする、文句言ってるかも、恨み買ってるかも

Facebook上には、フレンドに対する陰口も、悲しみも、文句も、ない

そりゃ、そんなこと書いたら角が立つからあるはずないんだけどね


でも、現実クラスっていうのは、不良が馬鹿みたいに笑っている教室の片隅でもぞもぞとモテないやつが話をしていたりする、いろんな空気共存して社会が完成している

Facebookは「いいひと」だけでタイムラインが、教室が、完成される

根暗も、不良も、馬鹿も、優等生も、それぞれの主張を、しかし読み手、聴き手からすれば、一斉にクラスから挙手が押し寄せる

「これが今日の私の一日です」

いいね!

本当は、それを傍から嫉妬や、羨望や、敵意の目で見る誰かがいるはずなのに、それが一部のSNS上には空気となって表れない

不穏な空気が一切ない、その空気が不穏だ

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