2012-06-17

弱者自殺社会の本望

内部障害者で東大卒だが、弱者自殺社会は望んでいると強く感じる。

自分の障害は先天性心臓病(内部障害)なので、見た目には全く分からない。見た目で障害が分かるかどうかが、社会に歓迎されるかどうかの分岐点だ。

人は予想より出来れば歓迎し、予想より出来なければ憎悪する。

障害が見た目で分かれば、人は健常者より出来ないと予想して歓迎する。

見た目で分からない障害は全く逆。勝手に健常者であることを前提に期待され、そして、跡から障害者であることを言うと、失望される。

自分は障害を持って生まれてきたから、頭が良くなければ社会抹殺されると思って東大に入った。言っちゃ悪いが、東大に入れる障害者は少ない。自分と同じ疾患で入ったのは、おそらく自分の他にこの10年で1人いるかどうかだろう。この疾患を持つ者の中では、学歴トップレベルのはずだ。

そのトップレベル自分でさえ、障害を他人に伝えれば失望される。自分の障害は先天性だ。生まれつきだ。つまり日本社会東大を出ようが何だろうが、私と同じ疾患を持つ者には生まれてきてほしくないのだ。存在して欲しくないのだ。日本社会は、自ら手を下して我々を殺すのも面倒くさいから、ただ自殺して欲しいのだ。手がないとか足がないとか、目が見えないとか耳が聞こえないとか、そういう分かりやすく、健常者を事故満足させるような障害者以外、障害者は要らないのだ。それが社会の本音だ。

私の疾患は生後すぐに手術しなければ数歳で死ぬ。私はこの社会に望まれて生まれてきたのだと信じてみたこともあったが、実態は違ったというのが結論だ。珍しい症例だから大学病院モルモット的に直されただけだ。私に限らず、手術しなければ死ぬことが確実な疾患を持って生まれた者は、どうせ育った所でこの国ではマトモな職に付けないのだから赤ん坊の段階で処分しても良いのではないだろうか。その方が、日本社会と本人の双方のためになり、win-winだ。なにしろ、そういう状況に生まれた私自身がそう感じるのだから、実体験一票だ。よく検討して欲しい。

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