2011-11-14

自分にとっての幸せのモノサシ

私は、私のための幸せ定義を考えておかなきゃならない。

そうしないと、流れ流され、自分でも不本意なところへ漂流してしまうかもしれない。

もう、万人に通用する幸せのモノサシが与えられる時代じゃなくなったんだと思う。

-------

良い高校に入って、良い大学に入って、良い企業就職して・・・

世間一般的な幸せ価値成功を目指してる間は、楽だ。

サークルに入ってる間は、サークルの目指す価値に身を捧げてきた。

でも、これも自分で考えついた目標ではなく、与えられた目標だったように思う。

良い企業就職して、というのには失敗してしまたかもしれない。

思っていた就職活動にはならなかった。人生で初めての挫折。

もちろん、このご時勢に仕事にありつけるだけ、ありがたいことだとは思う。

でも、今すごく危機感を持っている。私は、目指すべき指標を失ってしまった。

来春から仕事は、私の中では「食うための仕事」として納得された。

やってみないと分からないが。でも、今の段階では生きがいとか、幸せ、とは結びつかない。

そもそも、仕事に過剰に「自己実現」だの「自己成長」だの言うのが変なんじゃないか

多くの人にとって、おまんま食うための手段だろうし、それでもいいと思うんだ。

みんながみんな、ジョブズやら、孫正義のように、リーダーになりうるヴィジョンを持ってるわけじゃない。

「お前が消えて喜ぶ者にお前のオールをまかせるな」

誰かのモノサシによっかかって、『自分は不幸せだ』と嘆くよりも、

自分はこういうとき幸せだな~、ってぶれない芯が欲しい。

個人の時代なんだな。辛いけど、強い個人であらねば。

きっと、大層なモノサシでなくて、日常生活の中のちょっとした幸せの積み重ね、とかでもいいと思うんだ。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん