2010-11-28

日常は終わらない

平沢唯ちゃんが誕生日を迎えて、ネット上ではたくさんの人が改めて「けいおんとはどういう物語なのか?」を語っている。

美少女所有願望を充たす為の物語であったり疑似青春体験装置であったり自己投影の対象であったり。恋人の代わり、娘の代わり、友達の代わり、現実よりも愛されている自分、元々手にしてない幸せの代わり。そんな話。

じゃあ私にとってけいおんがどういう物語なのか?っていうと、友達の代わりってのは確かにあると思う。私には律っちゃんに似た友達とムギちゃんに似た友達がいるので、けいおんを観ているとあるあるwってネタが多くて楽しい

でも、でも、それ以上に私にとっては「終わらない日常を生きていくんだ」って事を理解する為の教材みたいな作品だったと思う。

バンド始めたからって武道館ライブできるわけじゃないし、劇的な何かが起きて人生観がすっかり変わるような事もないけど

毎日楽しく笑って、友達とおしゃべりして、ときどき喧嘩もして、小さな事で失敗して、反省して、友達に慰められて、努力ももちろんして、それで少しずつ成長していって、高校三年間が終わる頃には目を見張るような成長があって

この友達とはずっと友達なんだろうなぁってなんとなくだけど確信してて、そんな信頼があるから勇気が出て、新しい一歩を踏み出していける。

そんな、友達を大切にして、毎日を楽しく過ごす為に努力する事を良しとする人生観を、私はけいおんから学んだ。

と、昨日サウスパークを観ていて考えた。

サウスパークs11e14「The List」という話の中で(以下ネタバレ)、

カイルという少年クラスイケメンランキング最下位にされて、人生希望が見出せなくなって落ち込んでいると、夢の中にリンカーンが現れてこんな話をするんだ。

クラスで一番のイケメンに選ばれた子は浮かれて女の子とのデートにばかり夢中になりなんの努力もしなくなり、40を過ぎた頃には美貌も衰えなんの価値もなくなる。でも不細工はそのぶん努力するから大人になった頃には立場が逆転してるよ」

と、ピアノの練習をしている不細工を見せながら言うんだ。

なんか、、、違くない?違うよね?絶対違うよね!不細工がピアノ練習してもあん意味なくない?ピアノプロになれる確率なんて天文学的な数字でしょ。プロになれるような才能あれば不細工だろうがイケメンだろうが関係なく練習するよ。

不細工だからとか、好かれないから、そういう負のエネルギーで頑張っても、大人になる頃には挫折するんじゃない?コミュニケーション能力がどうとかいってさ。

コミュニケーション能力ってなんだよ。周りの人間みんな嫌いだったら、嫌われてると思ったら、まともなコミュニケーションなんてとれるわけないじゃん。

だから、さ、不細工で、嫌われてる子供がするべき事は、大人になった時に役に立ちそうな勉強とか特殊技能の習得よりも先に

今、好かれる為の努力をして、友達を作って、人を好きになって、遠い将来に夢を託すのではなく、今の生活を楽しめるように最大限の努力をすること、なんじゃないのかな。

今の生活の延長が将来で、楽しいを作るためには努力が必要。そして、楽しむ事は悪い事じゃない。

こういう事を言ってくれる物語は少ないけど

そんな事をちゃんと描いてくれた物語として、私はけいおんが大好きです

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん