小さい頃、母から多く言われた言葉だ。
母は自分の中で流行っている言葉があると、特に何も考えずに人に向ける事が多い。
人、と言うか家族に、かな。
「友達は他人だけど家族は血縁だから、多少の失礼は大丈夫」みたいな感覚で使ってくる。
それが無害な言葉なら問題ないのだけども、明らかに相手の気分を害する言葉をバンバン使う時がある。
子供心ながらに「そういう言葉はやめてほしい」という旨の注意などをしたものだが、彼女が子供の言う言葉など聞き入れる訳も無かった。
「被害妄想」は、自分が幼稚園~小学校低学年辺りの、まだ幼い頃に母の中で流行った言葉らしかった。
その頃の母は、何かと「そんなものは被害妄想だ」と言ってこちらの訴えを聞いてくれない事が多かった。
当時の自分が、母にどんな内容の事を訴えていたかは忘れた。
多分、「弟だけジュース飲んでてずるい」とか、そういう些細な事だったと思う。
すると、「あんたは、被害妄想ばっかりなんだから」と返される。
うるさい子供の相手をするのが面倒なのか、自分の中で流行っている言葉を口にするのが面白いのか、その両方なのか。
被害妄想被害妄想被害妄想被害妄想被害妄想被害妄想被害妄想、御前は被害妄想ばっかりだ、と、言われ続けた。
……先日、友人の結婚式に参加した。
苦心し、悩み、くじけている時に、支え、応援してくれて有難う、
といった、まぁよくある内容だった。
それを聞きながら、もらい涙をしながら、
ふと、「こんな場面で私は母に感謝する事が出来るだろうか」と考えてしまった。
母との思い出は、どちらかというと失望することばかり思い浮かんでしまう。
ブリッジの体勢から立ち上がる、というのを母と二人で(何故か)チャレンジしていた時、
起き上がるのに失敗して、したたかにフローリングに背中を打ち付けて一瞬動けなくなった事がある。
母は、その様子がおかしくてたまらなかったようで、ずっと笑っていた。こちらの心配はしていない様だった。
会社の仕事が忙しく、残業が長期間続いて、毎日くたくたになって帰る事があった。
ある日、母は、「あんた、本当に残業で遅く帰って来てるの?」と怪訝そうな顔で訊ねてきた。
私は涙もろい方で、テレビで感動秘話などを見ていると耐えきれずに泣いてしまう事が多い。
泣いている私を見て、母は、「あんた、泣いてるのぉ?」とにやにやしながら面白そうに笑っていた。
口論が聞こえ始めると、自分の部屋の電気を消して布団に潜り込む様にしていたが、
喧嘩が終わると私の部屋に来て、「起きてるんでしょ」とノックも無く入ってきて、
鬱憤晴らしとばかりに学校の成績が悪い、弟と御前は仲が悪すぎる、仲良くしろ、と小言を始める事も多かった。
弟と喧嘩をしていると、決まって間に割って入ってきて、「喧嘩を止めろ」とブチ切れる。
その後はなし崩し的に全てがうやむやになる。
「仲直り」というプロセスを私は未だに上手く出来ない。
また、記憶がかなりおぼろげだが、母は私が小さい頃、自殺をしようとした。4歳か5歳ぐらいだったと思う。
母が泣きわめいて、父が冷静に諭していた。母は、ベランダから飛び下りようとしていたらしかった。
当時の自分には母が何をしようとしていて、その結果どうなるか、というのを全く理解していなかった。
だから、というか、後日、母に「どうしてあんなことしたの?」と聞いた。
母は、「あんたの所為よ!」とわめいて返した。
全く心当たりは無いのに、何故私の所為になるのだろう、と不思議に思った記憶がある。
今でも全く心当たりは無い。
だが、私の所為だ、と彼女が言うのであれば、無条件で私が悪いのだろう、と思っている。
私にとって母に関する思い出は嫌な事ばかりだが、思い出す度に思うのは、
「それでも、愛が無いというわけじゃない」ということだ。
彼女は彼女なりに、私を愛している。愛しい子供だと思っている。
感情が率直過ぎるだけで、彼女は我が子を間違いなく愛している。
私の求める愛情の形と、母が与える愛情の形が、食い違う事が多過ぎるのが問題なだけだ。
分かっている。ただ、すれ違っているだけで、悪いことなど何一つ無い。
私の中の、母にまつわる悪しき思い出は、全て被害妄想による産物に過ぎないのだろうか。
彼女が自殺しようとした原因が私の所為だった様に、全て私が悪いのだろうか。
私が間違っているのだろうか。
私は、あの花嫁の様に涙を流しながら母に感謝をするなど、到底出来そうに無い。
母が私に面と向かって、
「出来ることならあんたを育て直したいと思ってるのよ…」と呟いた時の、
彼女の顔はどんなだったか、もう覚えていない。
http://anond.hatelabo.jp/20090927051309 元増田が書いたことを客観的に見れば、元増田が被害妄想なんじゃなくて、お母さんが自分のしたことを自分で責任取りたくなくて、元増田に押しつけてる...