はてなキーワード: 区別とは
「俺を虐げるな」=「無条件で俺を世話して性処理をする女をあてがえ」
そもそも、誰かがそう主張すること自体は自由です。その主張を議論の俎上に載せて対話するのが民主主義です。もちろん、こんな主張を議論に乗せれば、それが通らないことは自明です(1人の人権を保障するために1人の人権を犠牲にするのでは社会にとって問題は何も解決しないからです。一般的に言って、無辜な何者かの生活を犠牲にすることによる解決は、少数意見を尊重する真っ当な民主主義においては認められる主張ではありません)が、それはそれとしてその「主張をすること」は自由であり権利です。逆に、その意見を封殺することは非民主的な行いです。
従って、
という態度は望ましくありません。意見が荒唐無稽だとしても、両者の意見のすりあわせと妥協点を探る(女性を奴隷にせずに、「俺」さんが「虐げられていない」と考える道は本当に無いのか?など)態度が民主主義です。このように、民主主義を標榜するなら「俺を虐げるな」などと言う人と対話しようとする姿勢が必要です。もちろん、相手がマサカリで武装しているなら、対抗言論上多少きつい言葉を使うことも許容されるべきでしょう。しかし、少なくとも人権と民主主義を尊重する近代人のふりがしたいなら、対話すべき相手を人間以前の生き物のようにレッテル貼りして言論を封殺しようとするべきではありません。そういう( 「弱者」男性に対する )マッチョな振る舞いが一部界隈では人気を博すのかもしれませんが、それは人権に名を借りたただの差別主義です。
差別主義とは何か。それは、社会に、本来は存在しない見えない線を区切ることです。そのような見えない分断は多くの人にとってはただ不都合でしかありませんし、特に、その区切りによって不利益を被る側には耐えがたいマイナスですが、その分断を強く主張し主導する人々にとってはそれが権力の源泉となります。たとえばエセマナー講師は、わかりやすいその一例です。奇妙なマナーを提唱して、社会を「"マナー"を知ってその通りに振る舞う人/"マナー"知らずで無礼な人」に区分けする、多くの人にとってはただ面倒が増えるだけですが、マナー講師にとってはその「社会全体の不利益」がそのまま「飯の種」になります。「流行・ファッション」などというのも、多くの場合これです。しかし、流行・ファッションを飯の種にする人は多くいて、そうなるともうこの「流行」なるものは実態のように振る舞い始め、被搾取者だけでなく受益者まで巻き込んで様々な悲喜劇を引き起こします。「文化・伝統」「宗教・信仰」もその類いであることは言うまでもありません(本来は信仰の守り手として受益者であるはずの行為の宗教家が、狂信者となることでどんな悲喜劇を引き起こすことか)。
ここで、しっかりと区別しておきたいことは、私はこのように振る舞うのが「好きだ」、私はこのような服装が「好きだ」、私はこのような文化が「好きだ」、私は神様を「信じている」……それは差別主義ではありません。しかし、人はこのように振る舞う「べきだ」、このような服装をする「べきだ」、このような文化を守る「べきだ」、誰もが私の神を信じる「べきだ」……となると、それはもう差別主義に足を踏み入れています。なぜならそれらは、そうする人としない人を区分けする考え方であり、しばしばまさに「区分けするため」になされる主張だからです。敵と味方にわけて闘うための思考が差別主義です。差別主義は戦いからこそ利益を得るのです。
同じく、私は人権を「大事だと思う」、人権は「大切だと思う」、はただの選好ですが、誰もが人権を「尊重するべきだ」、人権を守る「べきだ」、人権を信じる「べきだ」、人権に則って振る舞う「べきだ」……は、ここで言う差別主義に当たることになります。一見人権を大切にする結構な主張に似て見えますが、それらは社会に分断をもたらすことで結局は全体に不利益を与え、見えない壁を作り、そしてそう主張する者だけがそこから部分的な利益や権力を得る、そんな行いだからです。人権も民主主義も、この社会の構成員全てを等しく扱う考え方であり、「敵/味方」という思考法から最も遠いはずのものですから、「彼らは民主主義の敵だ」とか「我々は人権派だ(あいつらはそうではない)」といった主張は、本来存在するはずがないのです。
私たち一人一人は、弱く愚かです。間違いも犯す。だからこそ、いろいろと問題のある中で民主主義が選ばれ、尊重されているのです。たとえ自分が民主的で人権を尊重する人間であると自負していたとしても、私たちは不断に自らが本当にその名にふさわしい振る舞いをしているか、再確認する必要があるでしょう。人権や民主主義はありがたく飾っておけばすむ錦の御旗などではなく、常に実用の最前線にあり、限りない問いかけと異議申し立ての中で磨きぬかれてきた存在なのです。
やったはずのことがやってないとかでてくるし
大臣が「1が、うまずして何が1でしょうか」という発言をしたのだった。
発言は多くのメディアで取り上げられ、時代錯誤な差別発言として大炎上した。
総理は大臣の発言についてどのように思われますか?と記者に問われ、総理は慎重にこう答えた。
「今の時代、1と2を区別するのは時代錯誤であり、大変遺憾な発言であったと感じています。これからの世界は12平等。1と2は平等であり、同じ扱いをして然るべきであると考えています」
だからといって、自分は弱者だと思ってるから「お前は弱者じゃない」って言うのも違う気がする
たぶん恋愛弱者という意味で弱者男性を自称してるんだと思うけど、これは難しい
異性との交際を望んでいるけど得られないだけで弱者と呼んでいいのか?
たとえば望んでいるけど女性に話しかけたこともないような人間はどうだ?
既婚者がみんな容姿端麗というわけではないというのは調べるまでもないだろ?
話しかけたら可能性はあるかも知れないけど、話しかけもしなければ可能性はゼロだ
お付き合いしたいと異性に好意を持ったことすらない奴がモテないモテないって言ってたら弱者なのか?
難しい
年収が300万円以下とかならわかるけど、そうでない奴まで名乗ってる
スクールカースト低位で低身長チー牛顔など容姿に恵まれず体力もなく男性的な魅力にコンプレックスがあるから弱者男性らしい
考えれば考えるほどわからない
不思議なのは自称弱者男性に限って就活市場での学歴フィルターだの東京と地方との格差だの発達障害者の排除だのに関しては肯定的なんだよな
お前らが弱者男性を自認するような立場に追いやられているのは別に
「弱者男性」という先天的な属性があるかでも何でもなく、学歴フィルターや親ガチャや能力主義やらの結果なんだから
そういうものこそ差別だ!と糾弾してなくしていけばいいのに、何故かそういうものは差別認定するどころか合理的な「区別」として積極的に受け入れている不思議
全く元記事が解読できてないのな
弱者男性はその層を排除しようと意図したのではなく、収入や職業、コミュニケーション能力などによって排除された結果、弱者男性という層が形成されてしまったものだから、差別とは問題の構造が違うのだと指摘されてる
差別されている層を無くすことはできないけど、弱者男性は排除の構造が無くなればその層そのものを無くすことができるだろ?
たとえば極端な賃金格差が改善されて低所得でも普通に家庭を持って生活できるようになればかなり解消される
そこをごっちゃにするとうまく議論できないよと
排除された結果として受けている不利益も差別と同じなので、当事者としては同じだと思うのは仕方ないかもしれないけど、社会課題の解決という視点では区別した方がいい
https://anond.hatelabo.jp/20240120235049
「なぁ~」って感じで語尾を「ぁ~」って伸ばす語りがうざすぎる、体型が豚みたいなオタクがこいつみたいに「ダンジョン飯っていうほどじゃないんだよなぁ~」って偉そうに語ってた。
「へーそうなんだ。ところで最近お前が面白かったって思った作品ってどんなやつ?」って聞いたら
面白さがダンジョン飯より3ランクくらい下のありきたりのなろう作品を紹介してきて苦笑したわ。
ようするに、知能や舌が貧しい貧乏人からしたら自分が理解しやすくてわかりやすい作品の方がよほど面白いんだって話でしかないわな。
どうせこの増田もそういうやつだし、こいつに同調してるやつも、「じゃあお前が最近おもしろかった作品は?」って聞いたらだいたいそういう答えしか言えないクソ雑魚豚まんじゅうなんだろう。
いい年して「自分が面白さを理解できない」と「作品自体が面白くない」を区別する知性すら持たない豚まんじゅうが「俺に面白さを納得させてみろよ」みたいなことを言ってるのを相手にするのはもうつかれた。
それはそれとして、Twitterとかで「なぁ~」って感じで語尾を「ぁ~」って伸ばすやつ、何を考えて生きてるんだろう。
その「~」は絶対いらないし、なんなら「ぁ」もいらない。
なのに、いちいち手間ひまをかけて語尾をこういう間延びした感じにする。
でも、社会保障を支えている側になるような高収入であっても、恋愛経験がなければ弱男自称するじゃん。
日本のホームレスなんて人口からすればほとんど無視レベルの少数だし、
生活保護下で役所に管理されるのを嫌がって自主的にホームレスやぅてるような奴らだし。
それと散々言われ尽くしてるけど、差別ってのは本人に責任がなく、変更できない属性で迫害されるから駄目なのであって、
最近転職したんだけど、そこにアルファベットの文字列を読めない人が一定数いる。
特に文字数の一致だけで同一性を判断している人が数名おり(DCMとIDCの区別が瞬時につけられない)、マニュアルに書いてある指示を適切に履行できない。
もちろんシステム上で似たような文字列を選択肢として持たせるのは可読性がよくなく、上のような操作をミスを招くのでよくないのだが、それはそれとして「そういう人もいるのか……」と感心した次第。
Geminiに聞いたら視覚性ディスレクシアの一種ちゃうんかって言われたけどホンマか?と思いつつ、定義もよくわからないので調べるのも難しい。