はてなキーワード: ゲームボーイとは
エリマキトカゲやウーパールーパーのブームを経験し、小学生でファミリーコンピューター発売
中学ではゲームボーイ、スーパーファミコン、高校卒業するくらいでサターンVSプレステ戦争を目の当たりにする
社会人になるくらいで深夜アニメが流行り始めエヴァ、ハルヒの社会現象を経験し、今の乱立時代を迎える
深夜アニメと同時期に携帯電話が普及し着メロ作ったり折り畳みケータイが流行ったりPHSってのもあったりした
mixiで古い友達と再会したりGreeモバゲで新しい友達との出会いも増え人間関係の変化も体感
激動の平成を全て経験し社会的地位も家族もありながら令和に突入
https://megalodon.jp/2024-0530-0816-21/https://anond.hatelabo.jp:443/20240530075500
検索用
↓これらが現役で新作ゲーム発売表とか載ってんだよ。マジビビるぞ。マジ異世界。少ないユーザーを一斉に奪い合って潰し合ってるの非効率すぎる。良い時代すぎる。
・pc98
・dosv
・SFC
・ゲームボーイ
・ゲームギア
・3DO
・ネオジオ
https://megalodon.jp/2024-0604-0923-05/https://anond.hatelabo.jp:443/20240530112115
30を目前に控え、結婚という社会的ステータスの高さを日々感じている。
既婚者って響きがいいよな。それだけでまともな人間だと思ってもらえる。羨ましい。
だけど、多分俺は結婚できない。
俺は女と付き合ったことがないんだ。
というのも、今まで浮気女と不倫女としか関係を持ってこなかった。彼氏に殴られ、土下座土下座、時には裁判になりかけたこともあったのに、誰かの女に手を出すのがやめられない。
俺の頭の中には「誰かのもの」=「価値があるもの」という図式が根底にあり、誰かの所有物が欲しくて欲しくて堪らなくなる。
昔からそうだ。ゲームボーイが欲しかった訳じゃない。友達のゲームボーイを奪いたかっただけなんだ。
こんな性格だから結婚を前提とした付き合いをする気が起きないし、多分できない。フリーの女に興味が湧かないんだ。婚活なんて夢のまた夢だ。
そのうち、いい女と巡り会えるって思ってたけど、この調子じゃ無理だってようやく気づいた。
何でこんなんになっちゃったのかなぁ。
俺、今まで会ってきた女に本当の名前を伝えたこと一度もないんだよ。
名前を、呼んでほしい。
あるいは、この経験があったからのちの体験にスムースに繋がったとか。
ゲームボーイってあっただろ?
多分、人生におけるポータブルなデジタルデバイスの原体験ってあれだったと思う。
持ち運び出来て、画面を見ながら操作することを当たり前のこととして捉えるための原体験。
それがゲームボーイだった。
あれがあったから、その後の技術革新で登場した液晶付きの携帯電話、さらにその後に登場したスマートフォンなども違和感なく使うことが出来た。
思うんだけどね。
もしもバーチャルボーイが成功していた世界線というものがあったとしたら、その世界ではもっと仮想現実のためのデバイスが普及していたんじゃないかと。
人々が違和感なくゴーグル越しに世界を見ることを受け入れていた原体験を持っている世界。
そういう世界ではもっともっと仮想現実デバイスが売れていたと思う。
なんでゲームボーイみたいなの。。
小学生の息子がポケモンのアニメは見るけどゲームはそんなにって感じだったのが、ゲームの中で集めたポケモンを図鑑で見ることができるってわかってからがぜん興味を持ち出した。といっても自分はゲームボーイの赤緑しかやったことがないので、今から始めるとしたらどれがいいのか全くわからん。素直に最新作のスカーレットバイオレットがいいのか、オープンワールドに慣れてない息子にはソードシールドなのかな、むしろわかりやすさで言えば初代?アニメが好きなサンムーンか?とか考えてるとわからなくなってきたので増田とブクマカに教えてほしい。
ちなみに息子のお気に入りのゲームは星のカービィディスカバリーとピクミン4で、カービィはかわいいのに強いところ、ピクミン4は原生生物図鑑が気に入っているみたい
パクリだー!!って糾弾するつもりはないが、ポケモン以前に発売されたゲームで、ポケモン的な要素を持つゲームとしてこの2本を思い出したけど、全く触れられないのが悲しいな。
アレサは、特定の方法で倒したモンスターをカプセルに封じ込め、一緒に仲間として戦えるシステムがある。ただし一度切りの使い切り。
ラストバイブルは女神転生の外伝で、悪魔(作中では魔獣)を仲間にするシステムがもちろんあり、さらに特筆すべき要素として通信対戦の機能があること。だからエンディング後は、作中に出てくる強いボスが仲間になるシステムなんかもある。
結論から言えば、任天堂の偉い人たちにオンラインゲームの素養がない、もしくは、伝統的価値観への固執。
任天堂に限らず多くの日本のゲームメーカーは家庭用ゲーム機のソフトで成功してきた。
今でこそ大手も焦ってオンラインゲームを作り始めているが、13年くらい前まではオンラインゲームを作りたい人が就職する会社は外資を除けばソシャゲメーカーくらいしかなかった。
プレイヤー目線でみても、13年前の当時、PCでは既にオンラインゲームが成熟しつつあった一方で、コンシューマゲームは相当出遅れていた。
当時、ゲーム制作サークルの作知り合いの何人かゲームメーカーに就職していったが、彼らは皆コンシューマゲームに憧れ、それらを再生産したい願望を持っていた。
そうしたある種のエコーチェンバー化しやすい環境が、CC2松山さんのプチ炎上発言
https://note.com/wwise/n/ndf5b3d0b161d
を可能にさせるわけだ。
未だに「ゲーム=コンシューマゲーム」という業界なんだなと再認識させてくれる。
当然、そんな人達が集まっているわけだから、オンラインゲーム的なものを作ろうって機運にもなりにくい。
なので、第一の理由としては、作る人達のゲームに対する趣味嗜好が伝統的な家庭用ゲーム機的なものに偏りがあるだろうという説。
パルワールドというゲームが極めて奇抜なアイデアの組み合わせによってようやく成立するなら、まあ簡単には生み出せなかったよね、と言えるのだが、ポケモンの魅力が何かを理解していればパルワールドに近いものを生み出せる時間はいくらでもあった。
ポケモンの最大の魅力はそのペット的性質を持ったキャラクターにあり、この魅力を最大限に引き出すには、「ポケモンと一緒に空間を過ごす」というゲーム体験に必然的に帰着する。
このことはみんな分かっていて、だからNINTENDO64の時代ですら、『ポケモンスナップ』『ピカチュウげんきでちゅう』など、「ポケモンと一緒に空間を過ごす」体験を模索する試みがあった。
でも、2010年代に入っても何も動きがなかった。
3D技術やオンラインゲームの技術はすでに十分成熟しており、PCゲームでは家庭用ゲーム機に先駆けてオンライン対戦ゲームやよりリッチなゲーム体験ができるようになっていた。
ポケモンGOが出てきて、ようやく次の動きが来たかと思えば、これは任天堂が作ったものではなくIPだけ貸しているのだそうだ。
やり方や発想が、没落してゆくスクエニの姿と被っており、嫌な予感を感じさせた。
「今、バトロワが流行ってます。だから弊社の人気IPドラクエと組み合わせれば売れます」
「今、MOBAが流行ってます。だから弊社の人気IPポケモンと組み合わせれば売れます」
IPの切り売りが始まってしまったか、というか、それしかやることがないんだ、という残念感。
ポケモン本シリーズの方も、最新作でも未だに最大4人の協力プレイしかできないらしい。
なぜたった4人? 発想が通信ケーブルの時代から進んでおらず、基本的にゲームがオフラインに閉じている。
なぜ普通に、素直に、MMORPG的なオンラインゲームとして作らないのか。
なぜ未だにコマンドバトル形式を踏襲するのかも謎。それって全然ポケモンの本質じゃない。
ゲームボーイ時代はスペックの制約上あれしかできなかったが、3Dでグリグリアクションができる時代に何をやっているんだろう感。
こんな保守的なポケモンの最新作の出来を見て、誰がこの会社でポケモンをアップデートしたいと思うだろうか。
パルワールドの作者も任天堂にいたらしいが、きっとそんな思いで任天堂を去っていったのだろうと勝手に想像する。
もしこれが、子どもたちを野蛮なオンラインゲーム世界に染めさせない健全なブランドイメージのために、あえてそうしているんだとしたら任天堂は長期的に終わりだと思う。
ゲームの面白さの追求よりもブランドイメージの守ることを優先する会社が、ゲームの面白さを本気で追求する会社に勝てるわけがない。
知り合いの友達同士だけで遊ばせたいみたいな価値観の押し付けをとても感じるのだけれど、ゲームを本気で遊びたい人からするとマジで興ざめする。
仮にも、各家庭の教育方針は様々であるにもかかわらず、任天堂がその上限を勝手に決めてしまっているというこの不愉快さ。
ゲームはもはや子供をあやす玩具ではない。玩具という域を超えて、コミュニケーションのライフラインになっている人も多い。
20年とか40年スパンで想像力を働かせてほしいのだけれど、ゲーム上の世界についてどのようにリアリティを感じるか、何を楽しいと思うか、という価値観の長期的トレンド変化について真剣に考えてほしい。
それはある人の言葉を借りれば「コミュニケーションそれ自体が目的化する」価値観への変化。
ゲームに限らず、アニメなんかを見ても例えば「けいおん」では、友達がワイワイだらだらと過ごすだけの日常が憧憬として消費されている。
これは、コミュニケーションの基盤がリアルからオンラインへ移行し、その分リアルでの人間関係が希薄になることの埋め合わせと考えられる。
つまり、ある時期から、コンテンツ(とその周辺)にはコミュニケーション的な欲求が求められ始めた。
ゲームを楽しみたいという以前に、人々はコミュニケーション的欲求をゲームを通じて満たしたいと思うようになってきている。
パルワールドとは、そのような新しい欲望や価値観の中で生まれたオンラインゲーム体験がベースにある。
ゲームをあくまでも玩具と割り切って楽しむのか、それとも、ゲームをリアル世界の延長のライフラインの1つとして暮らすのか。
このような価値観の変化を任天堂の幹部らのおっさん達が、理屈でなく、体感として、自らの経験に基づいて理解できているのだろうか。