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はてなキーワード: NERDとは

2008-09-04

僕が読書感想文を嫌いなワケと,その対処

読書感想文に決して書いてはいけないこと。」で,読書感想文について触れられていたので少し.

あえてコンクールの話をすれば、審査員が求めているのは、

「本を読むことで人間は変わる」

……という物語なのです。

「この本を読んだことで私はこのように変わりました」

……という、美しい物語を描いてください。


何を考え,感じたのかを「ありのままに表現してください」とか言われても,困る.

心の内側を,赤の他人になんか見せたくない

僕は,大切なことは心にしまっておきたいんです.

不特定多数の他人なんかに,教えたくは無いんです.

そこで僕は考えた.

感想じゃなくて書評を書けばいいじゃない

例1:映画スパイダーマン」を見て

ストーリー単純明快で,「ひ弱な主人公ナード)がある日突然強力な力を手に入れ,世界を守る」というものである.

このような構図は,例えばマトリックストランスフォーマーなど多くのアメリカ映画に見れるが,何故だろうか.

アメリカ中学生高校生を理解するのに不可欠な概念として,その階層構造が挙げられる.

この階層構造は,主に体育会系の支配者層(Jock;ジョック)と,非体育会系日本で言うオタクなどに相当する被支配者層(Nerdナード)で説明される.

またこの背景には,スポーツ趣味とするのが是であり,それ以外の文化系趣味に勤しむことは変人である,というアメリカ価値観などが関係していると言われている.

多くのアメリカ映画ドラマではひ弱な主人公ナード)と,その主人公邪魔をする嫌な奴(ジョック)が登場し,また最終的にはひ弱な主人公ナード)が何らかの活躍をするものが多い.

これは作品の消費者,つまり国民全体に占めるナードの割合が多いこと(一般的に非支配者層は,支配者層より人数が多い),作品の監督など文化人ナード出身が多いことが理由であると言われる.

さて,このような階層構造を理解した上でこの映画を眺めてみると,………

(ここまで:514文字)

例2:「アルジャーノンに花束を」を読んで

主人公であるチャーリー日記という形で物語は進んでいき,チャーリー白痴から天才へ,そしてまた白痴へと戻っていく過程を鮮やかに描いている.

本書はダニエル・キイス著「Flowers for Algernon」の訳書であり,翻訳アイザック・アシモフ著「I, Robot」(邦題:われはロボット)などの翻訳で有名な小尾芙佐氏が行っている.

本書でも,時間経過(知能の変化)によって変化する日記の文体など,氏の文章構成力が光っており,恐らく氏以外の翻訳ではここまでこの小説が有名になることは無かったのでは無いかとすら思わせる.

しかし残念ながら,物語の発端となるチャーリーへの人体実験については,その非科学的なリアリティーの欠如から,物語を素直に楽しむことができなかったのもまた事実である.

物語中では,ネズミのアルジャーノンの結果が出る前に,チャーリーへの実験を開始しているが,動物実験が終わっていない治療方法を,人体に試すことがあるだろうか?

こうした常識的な「科学考察力」の欠如は,現代社会における様々な問題の一因ともなっているとも言える.

マイナスイオン水からの伝言(水に「ありがとう」というと綺麗な結晶ができる,という都市伝説),血液型占いなど,これらは基礎的な科学の心得があれば,疑ってしかるべきものである.

SF小説では,いかにしてアイディア科学的リアリティーを持たせるかが重要な鍵の一つであり,例えばアーサー・C・クラーク軌道エレベータ,………

(ここまで:620文字)

まとめ

つまり物語そのものだけじゃなくて,その周辺情報について解説・評価すれば,自分自身の内面世界を全く描写することなく,楽々と(しかもそれっぽく)文字数を稼ぐことができる.

先生受けも,それなりに良い.

例:作品が書かれた社会背景と作品の関連についての解説,著者の他の著書や業績,社会に与えた影響,作品の一部分を抜き出してその社会現象について解説する,…

問題は,普段からのそれなりの読書量,周辺知識が無いと書けないこと…かな.

(逆に言えば,読書は好きだけど読書感想文は嫌い…という人には,向いていると思う)

2008-05-27

http://anond.hatelabo.jp/20080527213911

それとも軽蔑色の方が強いって言いたいのか。

軽蔑色の方が強いんじゃなくて、もともとが侮称じゃない。

自分でギークと名乗るのは卑下した言い方だから問題ないかとおもう。

増田の中では自称プロと自称ギークは何か言い難い差があるのか?

自称プロ(笑)、自称ギーク(笑)これくらいはっきりしろとでも?

鉄道オタクが乗りオタと撮りオタ一緒にするな! みたいな感覚

nerdgeekも同じようなもんだけど、あえていうなら、

nerdが浪費側のオタクで、geekが供給側のオタクぐらいの違いじゃない?

スペシャリスト→ウイザード→ハッカーギーク

なんとなく↑みたいな感じでハッカーの次の言葉を欲しがったマスコミがいいの見つけたとつかっているような気がしなくもないが、

ハッカーならまだしもギークといってしまうと変わり者の謗りを受けたようなもんじゃない

ハッカークラッカーが混同された時みたいだな。

君ってギークだよね。いい意味で!

って感じで「いい意味で」つけるの忘れちゃうと喧嘩になるから気をつけるんだぜ!

2008-04-30

フィクションにおける女性geek歴史について質問

今ではアニメの中に女性科学者やらエンジニアやらのgeekキャラ(と言って正しいのかな?)が

出てきても違和感は全然なくて、泉こなたみたいな女性nerd(これは誤用だよな)が主役を張るような時代だけど、

電脳コイル』を見直していて、そういえばイサコ、フミエ、メガばあ、オバちゃんと4人も

女性geekが出ているなと今更感心したところでふと沸いた疑問。

「じゃあ、フィクション女性geekが現れ始めたのはいつ頃で、それが当たり前になったのはどの辺?」

起源については全然知識がないんだけど、自分の記憶を掘り起こすと、アメリカ映画ドラマでは

80年代にはすでにそういうキャラクター普通に出ていた。

ナイトライダー』(1982-1986)におけるK.I.T.T.担当メカニックボニー・バーストウとエイプリルカーティス

エアーウルフ』(1984-1987)の第4シーズンに登場したジョー・サンティーニあたりの印象が強い。

アメリカではこのころにはある程度そういう像が確立していたんだろうと思う。

じゃあ日本ではどうなのかというと、これが情けないことに『新世紀エヴァンゲリオン』の赤木リツコ以前を思い出せないんだ。

アニメとか特撮とか結構見ていたはずなんだけど、どうも出てこない。

類型としちゃ『ドラゴンボール』のブルマなんてぴったりではあるんだけど、彼女geek属性が前面に出てるキャラじゃないし、

その属性メインであるキャラクターの系譜ってどんな具合なのかを、皆さんにお伺いしたいのです。

どっちかっていうと人力検索向けの話題だったかな。でもはてなポイントが買えないんだ、ごめんなさい。

トラバはてブコメント、お待ちしています。

2007-10-31

http://anond.hatelabo.jp/20071031041735

NARUTOはいいアニメだと思うけど、萌えアニメまで肯定する事はないような気がしてならない。

NARUTO海外ドラマを抑えてネットランキングでトップになったりしてるからなぁ。あれはとりわけ良いものだからさ。

はっきり言って大人の友達用のアニメはなくなっても良いと思うんだよね。彼等が金を落とさない限りそこに需要がないってことだから。

青少年向けのアニメ映画作品になるアニメの育成はがんばって欲しいと思うし、政府企業(任天堂とか)もそのつもりでそこは金になるし、文化だろうから特に心配はしてない。

飽和状態(過去あったIT企業ブーム的なもの)も感じるしつぶれるところが出てきてもいいだろう。それだけの市場ではなかったということ。

大体萌え系統のものは文化としてどうなのかな。俺は無理だわ。Nerdには受入れられるかもしれないが、そもそもそんなにデカイ市場になりえないだろう。

メイド喫茶とかもうつぶれるところも出てきてるみたいだし無理でしょ。

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