はてなキーワード: 母集団とは
40万件joinの300件程度の集計ごときで悲鳴をあげよって!!
最新版でも、このテーブル連結の弱さは変わらんなあ。
なんで、こんなにこいつは複数参照によわいのだろう。
全然RDBMSじゃないよ…。
ほんとは400万件ぐらいの母集団でやりたいのに…。
…。
結果を集計するSQLに変更したらあっさり出た。
わからんなー。。そんなもの??
頑張っても帰ってこない
select sum(c_pr), sv.seg_cd from p_tbl pt, s_v sv where sv.s_cd = pt.s_cd and pt.key_ymd = 20070125 Group by seg_cd
帰ってくる
select sum(c_pr), s_cd from ( select pt.s_cd, c_pr, sv.seg_cd from p_tbl pt, s_v sv where sv.s_cd = pt.s_cd and pt.key_ymd = 20070125 ) ppm Group by seg_cd
男女の話になるとくだらない話なのに結構エントリのびるのは何故だろうと思っていたけど
あれか
大抵この手の話にあると何度でも出てくる男は云々女は云々みたいなレッテル貼りは、余りに母集団が多すぎて(ていうか、その気になれば全員参加できる話題だしな)その上増田に来るような人は所謂普通の人っぽくはないので、貼られたレッテルに当てはまらない人が多分滅茶苦茶いるんだろーな。そんで、たくさんの人たちが「俺/私は違う」と一言いいたくなって、ワーって活発化。
あと男女の話になると増田は意外と考えが古めかしいよね。良くも悪くも。
男女とも、モテない比率が高いからなんだろうな。
誤解を解こうというなら普通謝罪じゃなく釈明だろう。
まぁ、「誤解を招いてしまってごめんなさい」という謝罪はあるかもしれないが、その場合すでに誤解が生じてしまっていることが前提になるのであって、「誤解される可能性があったので、謝罪」なんてのはちょっと考えにくい。
発言直後に謝罪を行っています。誤解される可能性というよりも、素直に謝っていますが。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070128i112.htm
厚労相はその場で「機械と言ってごめんなさい」と謝罪し、「産む役目の人」と訂正した。
問題があるから、問題になっていると思うんですが。
あなたのように全員、割り切れれば問題はないと思います。
もし、柳沢厚労相の言う「産む機械・装置」が『「15歳から50歳まで」の「出産して下さる年齢」であるところの「女性」』以外になる解釈とやらがあるのであれば、それを聞きたい。
では、少し説明します。
仮定している発言は以下の通り。(([1]とします)
http://news.tbs.co.jp/20070129/headline/tbs_headline3480852.html
「女性は15歳から50歳までが出産をして下さる年齢。『産む機械、装置の数』が決まっちゃったと。その役目の人が、一人頭で頑張ってもらうしかないんですよ」(柳沢伯夫・厚労相 今月27日・松江市内)
私が「好意的に」解釈した内容は以下の通り。([2]とします)
http://anond.hatelabo.jp/20070131121516
好意的に解釈すれば、「15歳から50歳の女性の中で子供を産む意思のある女性=産む機械、装置の数」という解釈も可能です。(本人がどう思って発言したかは知りませんが)
[1]を私が「好意的に」解釈すると以下のようになりました。
「(一般的に)女性は15歳から50歳までが(出産の意思のある方が)出産をして下さる年齢ですが、その方々を『産む機械、装置』として見ると、『数』は必然的に決まりますね。でありますから、(出産の意思のある方が出産できるように我々は環境を整え)その方々に『産む機械、装置』としての役目を頑張ってもらうしかないのです」
[1]に、「女性は15歳から50歳までが出産をして下さる年齢。」の文と、「『産む機械、装置の数』が決まっちゃったと。」の文がありますが、文章として不完全なので、「15歳から50歳までが出産をして下さる年齢の全員の女性=産む機械、装置」という解釈以外の解釈も成りたちます。つまり、前者が後者を包含しているという解釈も成り立ちます。要するに後者は、「(母集団である前者の数が決まっている以上、その子集団である)『産む機械、装置の数』が決まっちゃったと。」という解釈も成りたちます。当たり前かもしれませんが、基本的に日本の場合、女性が「出産をして下さる」のは、その女性に出産の意思があるからです。よって、「前者のうちで出産する意思がある女性」を「産む機械、装置」とらえる解釈も解釈の一つとして自然だと思います。
でもみんな「科学的な感じ」(実際は科学ではないのだが)の話って好きだよね。「あるある」も「ガッテン」も女性週刊誌も、みんな最近は「これが身体にいい」「これでモテる」だけじゃなくて、「この数値がこんなに上がってるから身体にいい」(実は他のものではもっと上がってたり)「心理学にもとづく男をおとすテクニック」(それ科学的に研究された“学”じゃなくて単なる思いつきの“術”だよ)とか、そこで科学は別にいらないんじゃないの、という状況でも科学を持ち出すことが多い。統計も然り。「血液型性格判断は10万人のデータを取ったれっきとした統計」って昔トリビアでも言ってた(と思うがソースが見つからない)けど、そんなに母集団がでかけりゃそりゃ有意差出るだろ、と(血液型性格判断は疑似科学か?の●2など参照)。
恋愛についても、吊り橋効果とか好意の返報性とかよく使われるけど、好意を恋愛感情と混同してしまうのは女性のほうが多いという研究もあったりする。女性が同意するから、男性に効果があろうとなかろうと女性週刊誌は特集を組むんだろう。本当の「恋愛の科学」はかなり味気ない。
みんな科学(を装ったエセ科学)を拠りどころにしてるんだから、それを壊されるような話は受け入れさせるのは難しいだろうなあ。「でもそれは現在証明されてないだけで」とか。だから、エセ科学教徒を改宗させるには、科学に替わる拠りどころを提供してあげる必要がある。かといって、そうなりかけてる「スピリチュアル」な方向もちょっと考えもので、そうなると社会的繋がりとか、「古きよき」コミュニケーションなんじゃないかな、とか思ったり。「水からの伝言」を道徳に使うのなんて、道徳心を水に養わせておいて、自分たちは楽しようという意図も透けて見える。エセ科学に科学でぶつかっても、また違うエセ科学の鎧を着込んでしまうだろう。エセ科学を撲滅したいなら、本当の科学を知る人たちが「科学は人生を面白くする調味料でしかないんだから、そんなに頼っちゃいけないよ」と伝える努力をしなきゃいけないんじゃないかな。