はてなキーワード: ドタキャンとは
かれこれ1年とか2年とかそのくらい引っ張ってきた女性について、自分でフラグが立ったと思ってたのが消えたみたいです。
残念だけど、それは半分くらい自分で望んだことだったので致し方がない。最近メールを打っても素っ気ないし、2人で会ったときにも前よりも距離を感じる。それに一度俺から約束をドタキャンしたし(後でごめんって言っといたけど、それで機嫌が直ったかは分からない)。
その相手の人は俺には釣り合わないようなハイスペックで、到底俺なんかの手には負えない。社会的に安定しない身分の俺がキャリア女子の相手になんてなりようがねえっていう話ですよ。
あと、ついでながらきっと俺とその人は性格が合わない。向こうはどう思ってるか知らないけどね。
だから、適当にあしらっといて、別の男が見つかったらそっちにお任せしようと思ってた。これってフラグじゃねーの?って思ったときに。そうしとけば自分の勘違いだったというリスクも回避できるし。相手が踏み込んでこなければ安全だし。
絶対うまくいくよとか、相性が良いんじゃないかとか、周りには言われたけど、やっぱり無理だった。俺が尻込みした。踏み込めなかった。臆病者だから。向こうも一定以上の踏み込みかたはしなかったので、俺の勘違いである可能性はかなり高い訳だけれど。
仮に、フラグが立っていたとして、自分のどこが評価されてるのか理解できないんだ。
見た目か、性格か、収入か。よく言われている女が男を評価するときの基準がその3つなんだろうけど、どれも、該当しない。前述の通り、金ないし、見た目も普通くらいだし。じゃあ性格かっていうことになるんだけど、別にこれまで自分が良い人間になろうなんて思って生きてきた訳でも、人から好かれようと努力した覚えもない。自分のやっていることのためにならないことには全く注意を払わないで生きてきた人間の性格なんて、ねえ、多寡が知れてる。
だから全部は俺の勘違いなはず。だと思ったんだ。
だからその人とはそれまで通りの距離を保って付き合おうと思った。たまに勘違いして遊びに誘ったりしたけど。そして毎回毎回自分の勘違いであるという疑いが大きくて、結局なにもしなかった。
そして最近やっとそういう雰囲気も消えてきた。
ちょっと残念だけど、これで良かったと思う。
そりゃ俺も男なので、女の人から好意らしきものを示されれば嬉しいけど、自分に自信がないから、確信を持てない。それにずっと一人で生きてくことを覚悟したので、それ程恋愛したいとは思わない。
それだと相手が可哀相とか言われたこともあるけれど、食べる気の余りない物に対して食欲はわかないのです。相手と向き合えと言われても向き合う気が余りないのです。何より俺自身が怖い。
こうして様々なものが手から砂がこぼれるように自分の元を去っていくのだろうけど、それはそれでしょうがない。だってそういう生き方を自分が知らないうちに選んでいたから。相手の人には大変迷惑を掛けたかもしれないけど、俺の小物っぷりに免じて赦して欲しい。
日本漢字能力検定協会が、毎年全国公募で選んでいる。
今年のベスト4は、以下「食」「嘘」「疑」だったそうである。
食品偽装問題、消えた年金問題、防衛省汚職、そして総理大臣のドタキャンから
大連立騒動、雰囲気だけの即席イケメン、化粧美人、インターネットの
誰を信頼していいのか分からない社会になってしまった一年だった。
「無信不立」の言葉は、遥か彼方に飛んで行ってしまったようだ。
国も政治家も、役所・役人も、食品も製造会社も、信用できない状況を
変えなければならない。
参議院に「国民生活・経済に関する調査会」が設置されているが、今後三年間、
「幸福度の高い社会の構築」をテーマに、議論をすることになっている。
大変大きい重要な課題である。
来年は是非良い世相になるようにしたいものだ。
元増田だけど。
飲み会じたいは嫌いじゃない。むしろ好き。
お酌も一気も料理の取り分けも嫌いじゃない。率先してやる。
一気コールとかも、強い人たちが飲んでる分には楽しいと思う。
静かに飲むのも好きだけどね。
だけど、他の女の子は飲めない・弱い子が多くて、その子にまで一気をさせるのよ。
可哀想だから代打で一気とかやったり、潰れた女の子は介抱したりしてたし、嫌そうにしている子には気を使って声かけたりしてたけど(幹事の手伝いもしてた)、飲めない子には一気させるなっていってるのに、酔っぱらいになったらそんなの関係ねーになっちゃうから、ウンザリした。
なんだ、私は大学に勉強と楽しくやるために来てるんじゃないのか?とか。
ちょっと無理して普通の人になろうとしてたところも、あるんだと思う。
ちなみに私がいかないから他の子もいかないっていうのはウソで、他の子はサークル中心の子・彼氏ができたから飲み会はどうでもいい子・返事はいいけどドタキャンする子・もともと飲み会の雰囲気が嫌いな子、そんなんだったからみんないかねーってなったんだよ。
10年ぐらい前のことを急に思い出したのは、このまえ趣味のサークルの飲み会に初参加して、そのときも多少気は使ったけど、すごく楽しかったから。
もう私は協調性がないんだ、飲み会が嫌いなんだと思いこんじゃって、飲み会の少ない会社に就職しちゃったぐらいなんだけど、よくよく考えたら大学時代も社会人時代も、気の合う人とだったら飲みに行くのは好きだったんだよ。
じゃあなんでクラスコンパには出なかったかなあと思ったら、嫌だったからだと思い当たった。いまさら(笑)
義理ででなきゃいけない飲み会はでて盛り上げるぐらいの協調性はあるけど、義理じゃない行きたくない飲み会に行く程、協調性が無かっただけの話。
嫌な飲み会でも率先してでて盛り上げたりできる人は(そもそもそういう飲み会を苦に思わない人も)、日本のサラリーマンにはむいていると思う。えらいと思うけどさ、自分にゃできない。
社会人やってて、正直生きづらいところもあったけど、そういうの気にしないでいいんだなあ、嫌なら嫌で嫌って思ってればいいんだよって最近思う。
「これを嫌って思う自分って、なんか人として間違ってるんちゃう?」
とか思いだすと、苦しくなるから。
豚キムチを食べています。
そういえば今年のクリスマスはどうしよう。。。
3か月ほど前に「クリスマスに会ってほしい」といわれていたけれども、そのことを覚えていてくれているんだろうか。
でもケーキを予約しておいたのに約束をドタキャンされると、ホールケーキを一人で泣きながら食べる羽目になるので、そのことがトラウマとして心に残っています。
最近よく「スイーツ(笑)」という言葉をよく目にするのですが、スイーツを食べるととりあえず30分くらいは幸せになるので、やはり女子にとってのスイーツというものは格別な位置に存在していると思うのです。
近くのケーキ屋さんのケーキ、何かのスイーツランキングで2位になってただけあっておいしいと思うんですが。
さて、何と言って誘うのがよいのか。ちょっと考えてみようと思います。
1.自分がお金を払う立場になった場合に、店員のことを見下すような言動をとる
2.公共の場・公共の物をわざと散らかしたり、無駄遣いするような行動を取る
3.約束を特に納得できるような理由もなくドタキャンをすることを特に悪いことであるようには思っていない
のどれか一つに当てはまるような場合は、その人には人格に大きな問題を抱えていることが多い。
これに同意
http://anond.hatelabo.jp/20071201140522
を読んで。
面接すればある程度は分かる。と言う人もいるかもしれないけれども、
実はその人が人格者かどうかについては、何か大きな出来事がその人の身に起こらないとよく分からない部分がある。
老子は、「忠臣というのが注目されるのはその主君が暗愚であるときで、仁や義というものが注目されるのは世の中が乱れているときだ」というような意味のこと(調べていないので文章は正確ではない)を言っていたと思う。
大石内蔵助が「忠臣」として名を残しているのは、主君である浅野内匠頭があのような形で切腹したのを仇討ちしたからであり、近藤勇や土方歳三が「義士」として名を残しているのは、徳川慶喜があのような形で大政奉還を行い、新政府軍の恨みが会津藩と新選組に向けられることになっても、最後まで「義」を通して戦ったからだ。ということが言える。
歴史に名を残した人が全て人格者だったということではないし、名も無き市井の一人物として過ごした人が、優れた人格者だったということもある。
しかしそこまで大きな出来事ではなくても、その人の言動を見ることによってどれくらいの人格の持ち主かということはおのずから量ることができると思う。
ここから先は私見になるけれども、
1.自分がお金を払う立場になった場合に、店員のことを見下すような言動をとる
2.公共の場・公共の物をわざと散らかしたり、無駄遣いするような行動を取る
3.約束を特に納得できるような理由もなくドタキャンをすることを特に悪いことであるようには思っていない
のどれか一つに当てはまるような場合は、その人には人格に大きな問題を抱えていることが多い。
書いていて少し頭の中身が整理されてきた。
テーブルマナーで、ゲストが手を洗うためのボールの水をうっかり飲んでしまった場合には、自分もそのボールの水を飲むべきだ。というものがあったように記憶している。
「人格者」というものは、周囲の人間またはその人の人生を後から眺めた人間が、深く感銘したり快い気分になるような言動をとるような人物ではないか。と思う。
でも、一見「人格者」のように見えているけれども家族の誰かや特定の人物を苛め通していたという場合もあるから、簡単には判断がつかない。
明日知り合いと映画を見に行かねばならない。
見に行く映画はまぁ、俺にとっては好きでも嫌いでもないって感じでどっちでもいいんだが色々あっていかざるを得ない。
せいぜい面白ければいいなと思っていたのだが急にある事に気がついた。
あれをすっかり忘れてた。
というのも俺はもうすぐ公開する映画に物凄く嫌いな映画があるんだ。それのポスターすら目に入れたくないほど嫌い。
でもおそらくそれの予告がそろそろ、てか絶対挿入されてるはず。
つーことはそれを俺は大画面で見なければいけなくなる。これは困った。すげえ嫌だ。そのために明日ドタキャンしたいほど嫌だ。
目を瞑ればいい?いや、音声は防げない。音声も嫌だ。かといって目を瞑り耳を塞ぐなんてしたら「お前何やってるの?」と聞かれることうけあい。つーか目はまだしも耳は塞いだところでたいてい漏れ聞こえてくるから意味がない。
となるとどうすべきか。
やはり予告の間だけ席を外す?といっても予告は結構長い……
どうすればいい……大体なんで席外すんだよといわれたらアレだし
せき外して戻ってきて映画が始まってるのに暗闇の中席に戻るってのも物凄くやり辛い
あぁーーーーどうすればいいかな
■学歴詐称で停職処分の大阪市職員(1141人いる)からボランティアを募集
■選手送迎バスが勝手に選手残して帰って、ドーピング検査してた選手が夜中二時にホテルに帰る
■大会実施費用が予定より約20億上回る。不足分は大阪府の血税で補填
■ボランティアスタッフのシフトを管理するシステムデータがすべて消える
■大会ボランティアがボランティア用無料配布Tシャツをオークションに出品
■女子100メートル決勝で電光掲示板に1位を間違えて掲示 会場、選手、解説みんなが呆れる
■小谷実可子→ウォーミングアップしてた選手に対し「ちんたら走ってた」発言
■TBS実況アナ→男子マラソン、女子マラソンで苦しそうに口あけてる選手に対し「歯を食いしばって激走」
■TBS→レース実況で着順を間違える 訂正一切無し
■TBS実況アナ→女子ハンマー投げで地面に置いたカメラによろけてハンマーぶつけた選手に
「高額の請求書が届くでしょう」発言
■係員→男子マラソンで尾方の前を走っていた選手を間違って誘導
■男子3000障害で選手がハードルに顔面強打、失神。救出にてこずり1周してきた選手たちは
コースを大回りせざるを得ないことに
■客席→ガラガラ タダ券ばら撒きで来場者水増し
■山崎→係員の誘導ミスでゴール後棄権扱いに 入賞および北京オリンピックの出場権パア
■ホテル→手配ミスでエリトリア選手をロビー横のラウンジの床で寝させる
270 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/09/03(月) 00:48:17 ID:LDtInKoZ0
>>234つづき
■高野進監督→有力選手の異変に対し「ミステリー・・・ミステリーとしか言いようがない・・・」
■TBS実況アナ→競歩で途中で棄権した選手に「あー歩いてしまってます」
■TBSニュース→「山崎選手、誘導ミスに気づかず」と山崎の方に過失があるかのような報道
■大会組織委員会 高橋勲・道路競技審判長→「誘導ミスはたまたま」と不適切発言
■大阪府知事→競歩の誘導ミスに対し 「誘導員はボランティア。無実」
■女子マラソンで歩道を自転車が併走、手を広げて必死に警察が制止するが振り切る
■TBS実況アナ→女子マラソンで疲労骨折を「金属疲労、金属疲労」と連呼、他の解説者は一切無言
■女子マラソンで「勝訴」の紙を広げて男が併走
■TBS→リレーで優勝したのに67億分の1位 女子の種目で67億分の1位
マイナー種目でも67億分の1位
コピペ元:
えっドタキャンじゃないの?まぁ…その当日とか前日とかが本来の意味なのかもだけど。
大抵の女って1週間前に言っても怒り出すぜ。で、ドタキャン多すぎだもん!って
言われてようやく一日我慢する腹決めてちゃんと遊ぶ。私は。
一週間前はドタキャンなのか? という疑問
初対面の人とも、二度目に顔を合わせた時には約束をとりつける。好きとか嫌いは関係ない。
自分は相手と話してる最中に「また遊ぼうよ」とか言っちゃう適当人間なので、相手が一度目に満足してたら今度は大抵相手から誘われる。そういう人は、大抵聞いて貰いたがりなので、笑って相手の話を頷きながら聞く。勿論ストレスがたまる。ので四回誘われても三回は断る。「私が」好きな友人達と遊びつつ、そいつらと遊べば休みは大抵埋まる。
勿論誘う優先は「私が」好きな友人達だが、都合が合わなければ、そいつらも私は誘う。
毎回断ってることが相手にバレたら敵意を抱かれそうなのでそのくらいのペースが丁度良い。
私は、自分が感じるストレスよりも一人ぼっちになる淋しさの方を大抵優先しているらしい。
人付き合いってもっと真摯なものなんだろうな。これは人を利用しているんだろう。
四回の内三回、私に誘いを断られる人たちはきっと私を友達だと思っている。
しかし、私には彼らが友人だと思えない。どうせあの人達は愚痴しか言わないのだ。
例外としては数が多いけれど、自分が彼らを友人と思ってないと感じる理由はもう一つある。
淋しくて死にそうな自分に怯え、とりあえず誘ってはみたものの、やはり愚痴聞きになるだろう明日の自分を想像し、せっかく約束した約束も一週間前にドタキャンしてしまうのだ。
手軽にそういうことができるのは、私の中で相手が大切ではないからだ。
あーあ、私もきっと世界に裏切られているに違いない。