2007-12-01

「何を持って人格者たる資格とするか」についての回答

http://anond.hatelabo.jp/20071201140522

を読んで。

面接すればある程度は分かる。と言う人もいるかもしれないけれども、

実はその人が人格者かどうかについては、何か大きな出来事がその人の身に起こらないとよく分からない部分がある。

老子は、「忠臣というのが注目されるのはその主君が暗愚であるときで、仁や義というものが注目されるのは世の中が乱れているときだ」というような意味のこと(調べていないので文章は正確ではない)を言っていたと思う。

大石内蔵助が「忠臣」として名を残しているのは、主君である浅野内匠頭があのような形で切腹したのを仇討ちしたからであり、近藤勇土方歳三が「義士」として名を残しているのは、徳川慶喜があのような形で大政奉還を行い、新政府軍の恨みが会津藩新選組に向けられることになっても、最後まで「義」を通して戦ったからだ。ということが言える。

歴史に名を残した人が全て人格者だったということではないし、名も無き市井の一人物として過ごした人が、優れた人格者だったということもある。

しかしそこまで大きな出来事ではなくても、その人の言動を見ることによってどれくらいの人格の持ち主かということはおのずから量ることができると思う。

ここから先は私見になるけれども、

1.自分がお金を払う立場になった場合に、店員のことを見下すような言動をとる

2.公共の場・公共の物をわざと散らかしたり、無駄遣いするような行動を取る

3.約束を特に納得できるような理由もなくドタキャンをすることを特に悪いことであるようには思っていない

のどれか一つに当てはまるような場合は、その人には人格に大きな問題を抱えていることが多い。

書いていて少し頭の中身が整理されてきた。

テーブルマナーで、ゲストが手を洗うためのボールの水をうっかり飲んでしまった場合には、自分もそのボールの水を飲むべきだ。というものがあったように記憶している。

人格者」というものは、周囲の人間またはその人の人生を後から眺めた人間が、深く感銘したり快い気分になるような言動をとるような人物ではないか。と思う。

でも、一見「人格者」のように見えているけれども家族の誰かや特定の人物を苛め通していたという場合もあるから、簡単には判断がつかない。

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