はてなキーワード: 福元とは
http://www.asahi.com/national/update/0827/SEB200808270011.html
伊藤さんの死を乗り越え、同会はアフガニスタンやパキスタンでの医療活動や農業支援を続けるのか。会見で問われた福元事務局長は「まだ頭が整理できていないが、アフガニスタンの人々のためにやっていること。今回のことで放棄することはない」と静かに語った。
伊藤さんを捜索するため、千人を超える村人たちが協力したという。「伊藤君を含め、現地のワーカーが頑張ってきたから。村人たちの気持ちに応えることが……伊藤君の死を生かすことだと思います」と自らを奮い立たせるように話した。
しかし、現地の治安悪化は間違いない。約20人いたジャララバードの日本人スタッフは4月に半数を帰国させ、年内に残りを帰すことになっていた。現地代表の中村哲医師は「以前は日本人なら大丈夫だったが、4月ごろから対日感情も急速に悪化していた。ここまで伊藤君をとどめた私が悪い」と悔やんだ。
『静かに語った』とか、そういうのやめなさい朝日。
というのは置いておいても、とても残念な話ではある。ご家族の心痛を考えると胸が痛む。
だがそれはそれとしても、というよりもそれを思うからこそ、会の皆さんには再度じっくりと考えてもらいたいと思う。本当に伊藤さんという方の死を生かしたいと思うのであれば、『井戸を掘り、農地を作る』という初志に戻ることを再考してもらいたいと心から思う。
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200808170278.html
アフガニスタンとパキスタンで活動する福岡市の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」がアフガン東部ナンガルハル州シェワ地区で、イスラム神学校「マドラサ」の建設を進めている。旧政権タリバン幹部を養成し過激派の温床とも批判されるマドラサだが、同会は「地元の要望が強く、貧困層の子供や孤児の養育が目的」としている。
マドラサはイスラム聖職者養成も目的とする寄宿学校で、青少年に聖典コーランの内容や読み書きなどを教える。アフガンでは二〇〇一年のタリバン政権崩壊後、各国NGOが学校建設を進めているが、ペシャワール会によると、非イスラム教国の団体によるマドラサ建設は初めて。
同会は干ばつによる食料不足を防ぐためシェワ地区などで農業用水路を造成。用水路は二十一キロ余り完成し砂漠地帯だった土地で耕作が可能になった。このため、隣国パキスタンに逃れていた難民が続々と帰還、地区周辺の人口が急増しているが、大きな学校がなく、信仰に根差したマドラサ建設の要望が出ていた。
約一万四千平方メートルの敷地に学舎と寮、モスク(礼拝所)を建設中で、今秋にも完成予定。同会現地代表の中村哲なかむら・てつ医師は「貧困層にとって寺子屋と養護施設の役割がある。過激思想を植え込むという考えは間違いで、科学なども教える大事な施設だ」としている。(シェワ共同=遠藤幹宜)
中村氏というひとについても、ペシャワール会のひとたちについても、えらいひとたちがいるものだと常々思っていた。だがこれはどう好意的に捉えようとしても捉えられるものではない。マドラサ建設が今回の事件の引き金になったと言いたいのではない。だが情勢がこれほどまでに緊迫している中で、マドラサ建設などということに着手しようとする神経が分からない。宗教に対する感覚が良く言えばおおらか、悪く言えば鈍っている日本人からしてみれば美談なのかも知れないが、少し視点を変えればこのような取り組みは常規を逸しているとしか言い様がないし、そうした常規を逸したことに着手してもなお会の内部からそうした活動を疑問視する声が出ないのだとしたら、これはもうNGOではなく個人崇拝団体だ。
他の報道を見ると、以前よりも日本人に対する反日感情が強まっているのを感じた、というような発言もあり、総合してみると「自衛隊派遣のせいだ」と言いたいのが本音のところか?と勘ぐりたくもなるが、それが理由だと言いたいなら、全く根拠にはならない、とは言わない。
だが反日感情云々と同時に、反イスラム主義感情もあるのだ、という現実にもそろそろ目を転じて頂きたい。アフガンにしろパキスタンにしろ、穏健なイスラム教徒やイスラム教徒の中でも少数派とされる宗派に属する人々がどれほどイスラム主義者達に苦しめられてきたか、もう少し考えてもらいたい。
あくまで集団就職をしたのは、その世代の一部(中卒で農業の次男・三男という条件を満たす)と言えるので、あまり具体的な追跡資料はないようです。
(見付かったらぜひ教えて下さい)
比較的資料と言えるかもしれないのは、
http://wp.cao.go.jp/zenbun/seikatsu/wp-pl95/wp-pl95-01402.html
●面白そうな論文
http://fm.koeki-u.ac.jp/~mihara/2005.1.20tsuchida.pdf
●関連書籍
現場労働者の工場小説・1960年の春・中学校を卒業して大手の製鉄会社に集団就職・その後、昼夜三交代勤務で働く労働の実態・家族・労働者の群像を描く小説集。
・「金の卵 転職流浪記 集団就職で都会へきた少年のそれから」大宮知信 1300円
集団就職で都会へやってきた少年の、「それから」。下町の個人商店や町工場に引き取られ、劣悪な労働環境の中で青春を駆け抜けた。元祖フリーター、「金の卵」の著者が描く哀歓溢れるエッセイ。
で、以下は個人的な意見ですが
集団就職した人達は、結局土地や家の相続ができない(居所がない)ために「集団就職」を選ばざるを得なかったわけで、田舎に帰ったケースはあまり多くはないのでは。
職を転々としながら、今は掃除のおじさんをやってたり、配達のおじさんをやってたりという感じなのでは…と思います。