中国では日本より古く隋時代には「猫鬼(びょうき)」「金花猫」といった怪猫の話が伝えられていたが、日本においては鎌倉時代前期の藤原定家による『明月記』の天福元年(1233年)8月2日の記事に、南都(現・奈良県)で「猫胯」が一晩で数人の人間を食い殺した という記述がある。これが、猫又が文献上に登場した初出とされており、猫又は山中の獣として語られていた。
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むしろ飽きっぽく見えるが
中国では日本より古く隋時代には「猫鬼(びょうき)」「金花猫」といった怪猫の話が伝えられていたが、日本においては鎌倉時代前期の藤原定家による『明月記』の天福元年(1233年)8...
元は「坊主殺せば」じゃないの?と思ったけどそういえば出典もどっちが先だかもわからんなこれ 図書館のレファレンスサービスに聞くと情報もらえそう
どうでもいいことには飽きっぽい人って、 ちょっとした恨みに対しては異常に執念ぶかく覚えてること多くない?